ここ何ヶ月か、新しく出会う人出会う人に言われる言葉がある。嬉しいような、嬉しくないような、そんな微妙な言葉。
その度に、自分が理解している自分自身と他人が認識している私という人物像のギャップ、を感じたりする。
人事管理論で習った「ジョバリの窓」(自己理解と他者理解のマトリックス)では、ギャップを埋めるには「自己開示が大事なのだ〜。」という結論だったような記憶があるのだが、それとは逆のギャップなんだよなぁ・・・・。
正直に言おう。今年に入ってから私は“バカっぽく”話すのを止めたのであるよ。何故昨年まで“バカっぽく”喋っていたかというと、要するに、その方が得なことが多かったから・・・でありまする。
で、25歳になった今年。「そろそろ本気でやらんとなぁ。」と考え、はっきり自分の考えを言うようにした訳であります。と言っても、私は一応コミュニケーションのセミプロでもありますので、本気で話してもよい相手に対して、その場に合ったスタイルで会話しておるのでご心配なく。。。
すると、かなりの確率で言われる。
「いやぁ、しっかりしてるねぇ!一体何歳なの?」と。で、素直に「25歳です。」と答えると、「27、8歳かと思った・・・」と返す人が8割、「30歳くらいかと・・・、す、すみませんです。」と謝る人が2割・・・。
どうやら私という人は外見の割りに内面が老けてるらしい。チラッと「内面に合わせてもっと外見を老けさせるべきか否か?」と考えてみたのだが、アホらしいので止めましたわな。
でもさ、敢えて記しておくよ。他の25歳がどんなんだかなんて関係ないんだってば。年齢を基準に人の特徴・能力を測ることなんて無理。何年生きてるかなんて、何の基準にもならないってコトを私はこの25年の人生でしっかり学びましたよ候。
以下、グチになります。。。
だからさ、言うなってば。「オレが25歳の頃は〜。」って・・・。
キミと私は明らかに異なる目的を持ち、異なる時代を生きてるんだよ。
あなたは私ではない。私はあなたではない。相対化するな。自分の若い頃思い出してセンチメンタルすんな、って。 利害関係者じゃなかったら、そういう話を無料で聞く人ゼロだってば。ケチんないでキャバクラかカウンセリング行った方が建設的なんじゃないかい?
って、今度はっきり言ってやろう、っと♪