今朝、知人の
ウェブ日記を見ていたら、久しぶりにジェンダー問題に思考が飛んでいた。
「あぁ、そういや私、オンナなんだっけなぁ。。。」と当たり前のことに改めて気づき、昔、経営学の授業で"
Wellsprings of Knowledge: Building and Sustaining the Sources of Innovation"という本を読まされた時のことを思い出した。
著者はアメリカの経営学者、Dorothy Leonard-Barton 、素晴らしい頭脳をもつ「オンナ」であーるよ。
私はこの本の論理の流れを批判した。曖昧なのが経営学であることを認識した上で、「曖昧だ」と述べた。他の学者(多くはオトコ)が書いたものを批判するのと同じように、同じようなクールな口調で。
だとさ。。。
以下、その時の私の反論とM先生の反応。
(なお)「しかし、M先生。“やっぱり“オンナ”だからかなぁ〜。”ってのは非常に可笑しな倫理ですよね?ちっとも経営学的でも論理的でもないですよねぇ?」
(M先生)「え?けど、キミはこの文献に反論したじゃないかい?」(なお)「確かに反論しましたが、それはDorothy Leonard-Bartonが“オンナ”だからではないですよねぇ?この前、“オトコ”であるN教授が書いた“The Knowledge Creating Campany"も私は批判しましたけど・・・。
(M先生)「しかし、アレは海外でも評価を受けてきたのだよ。」(なお)「それならば、Dorothy Leonard-Bartonは世界で評価を受けておりますねぇ?さらに言えば、アレは海外で先に出版することで価値を上げようという、非常に日本的な競争戦略を用いて売れた本だともっぱらの噂ですけれど、、。」
(M先生)「あ、でも、あれ? ・・・・。」このM先生の思想には、さらに様々な角度から突っ込むとこが可能であるし、
「これが日本○×学会の現状であーる!」といえばそれまでのお話である。経営学やファイナンスなどの比較的「下克上」的な、「サバイバル」的な分野でもこんなヤツがいるので、他の分野ではさらに悲惨極まりないのであろうとは簡単に予測できまする。
つまり、私が言いたいのは、ある分野で抜きん出たそれなりの才のある人(→今日の例ではM教授)でさえも、Dorothy Leonard-Bartonを“オンナである”ということで線引きしてしまっている、ということであーる。事実、Dorothy Leonard-Bartonの方が世界的なレベルで10万倍すごい学者であるのに、であーるよ。
要するに、M先生のような人は、自分が“オトコというぬいぐるみを着ている”というだけで“オンナというぬいぐるみを着ている”他者の上に立っているつもりの“オトコ”であります。あぁ、見てると恥ずかしいよ、ホント。
あぁ、ホントやりづらい世の中ですこと。
しかし今日もまた、私は“オンナというぬいぐるみ”を着て、街に出なくちゃならぬ。。。ああ、暑苦しいのぅ。。。