児童書専門の古本屋さんで、寺村輝夫の「消えた2ページ」を買った。 小学校時代からずっと好きな作家さんで、この本も印象に残っていて、見つけて迷わず購入しました。うれしいうれしすぎる。感激。 寺村さんは王様シリーズを書いた人です。玉子のすきな王様の話。ぞうのたまごのたまごやきに焦がれる王様の話。
この本は、その王様シリーズの一冊のあるページが切り取られていることを主人公が発見して、それが自分のせいにされてしまい、謎を追っていくうちに不思議な世界に迷い込んでしまうという物語。自作の物語を、別の物語の中に売られている本として出してしまうっていうことがまずすごいと思います。 それで、主人公を犯人扱いしてどこまでも追いかけてくる白目の男の子というのが出てくるのだけど、その子が表紙に描かれていて、ぶきみでめちゃくちゃ怖いのです。 だから私にとってこの本の印象は「怖い話」だったんだけど、いま読んでみるとそれだけじゃなくてすごく深かった。
記憶を思い出しながら期待しつつ読み進んでいたのだけど、この主人公の子が親や先生から「わがままだ」「わるいこだ」って言われ続けていて、もし「わがままはわるいことです」的なところに着地したらどうしようと思って、(私にとっての寺村さんはすごい大きな作家さんなので、万が一そんな結末に落ち着かれたら私の小学校時代が覆されてしまう!)びくびくしていたのだけど、ぜんぜんそんなことなかった! 結末もそんな方にいっちゃうのかよ!って興奮しつつ突っ込んでしまいたくなるようなすごいもので、なんかもう感動です。 寺村さん最高。大好き。
あとがきに、今にも通じること、というか、今私が生きているうえで考えているまさにそのことが書かれていて、1970年初版の本の、しかも子供向けの文章にこんなことがすでに語られていたのかと思うと、本当になんともいえない気持ちになる。 感動を残したいので、以下に引用します。
■「あとがき」より
もう君たちは自分の考えをハッキリいえなくてはいけない人間なんだ。何をきかれても「わかんない」というのが一ばんいけない。まちがったっていいじゃないか。自分の考えをいってみるんだ。きょういえなかったら、あしたいうんだ。あしたいえなかったら、あさってまでに自分の考えをまとめる。いそぐことはない。いけないのは「わかんない」まま考えるのをやめてしまうことだ。考えることはつらい。だまっていたのでは、だれも教えてはくれない。なまけようとする自分の心とのたたかいだ。■
それから、そのあとに、大人向けのあとがきもあって、それも、ほんとに古びていないと思った。
■「愛蔵版へのあとがき」より
子ども時代は、恐怖の時代だと、私は常々思っています。 (略) 小学校へ行くようになってからも、恐怖はつづきます。みんな、嬉しそうな顔をして学校に通いますが、内心はそれぞれに何らかの痛みをかかえているのです。仲のいい友だちに裏切られるのではないか、先生に何かいわれるのではないか・・・。大人が考えるとバカらしい理由ではあっても、時には登校拒否となり自殺を選ぶこともあり得るのです。恐怖から逃れるために子どもは手段を選びません。 (略) 大人が見てわるい子に対して、大人はそうなった原因を、テレビのせいにしたり、教育のせいにしたり、他に責任を転嫁したがります。あたっている部分もあるでしょうが、子どもは子どもなりに、責任をもって生きているのです。自分の意志で判断いしているのです。親や先生にいわれるから勉強するのではありません。さからってしないのでもありません。親の生活がふしだらだからグレるのではありません。それらのことは、ほんの小さな原因でしかないのです。 子どもにとっては、もっと深刻な恐怖とのたたかいがあるのです。そのたたかいの一面を、私は作品であらわしてみたいと思って書いてきました。「消えた2ページ」も、その一つのつもりです。■
こんな人の書いた物語が、小学校の私の傍らにはあったのだなあ。そのことに本当に、感動してしまう。
「消えた2ページ」寺村輝夫 理論社
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