2004年03月12日(金) |
あしたのわたしに伝えてください |
会社の帰り、いつもは横断歩道を渡る道を、気まぐれに歩道橋に登った。真下に信号を、真上に高速道路を眺める、最近補修工事が済んだばかりの歩道橋はどっしりとして、それでも行き来する車の振動に少しだけ揺れる。 階段を上がっていくとき、目の前に影があった。背中から降る街灯のひかりに照らし出されたわたしの影。段差の通りに規則正しく折れ曲がって、ちょうど四、五段うえのあたりが顔になる。 こっちを向いている、と、唐突に思った。その暗がりの顔を見て。考えるのではなくて、直感で、あの影はこっちを見ていると。 影だから、表情は映らない。でも、からだ全体の雰囲気が、そのコンクリートに吸い込まれていく輪郭がにじませる空気が、疲れてよたよたと階段を登るわたしを見つめ、待っていた。わたしの影は背中を向けて歩いていくのではなくて、わたしの方を向いて、少し先で待つように、後ろ向きで階段を登っているのだった。 見守られていると思った。すぐに行き先を失うわたしの足を、自分がどこに立っているのかさえ定かではない頼りないわたしを、それでも、一歩前の地点で彼女が待ってくれている。簡単に悩んで、わからなくなって、へこたれて、もう一歩も動きたくなくなって、無茶苦茶にあがきながら何とか進んでいる道を、きっと彼女も同じように通って、通り抜けて、それがどんな結果だったとしても間違いではなかったんだと、だからいいんだよ、って、こっちを向いて教えてくれていた。
ほんの少しだけ時間軸のずれた何秒か先の世界に、もうひとりのわたしが生きていて、あとを歩くわたしを振り返り見守ってくれている。そうだとしたらきっと、わたしはもうすこしだけ歩いていくことができるだろう。
いつか彼女とわたしがひとつに重なって、同じ方を見据えて歩いていける日が来るまで、彼女は後ろを向いて、わたしと向かい合って、わたしのひとつひとつの動作を見届けてくれている。そう思ったら、せめてこの歩道橋を降りるまでは歩いていこうと思った。それから、歩道橋を降りたら、次の信号まで。信号についたら、電信柱まで。そうやって、歩いていけるんじゃないかって。
表情なんてあるはずのない、暗闇でできたわたしの影から、わたしはたしかににじみだしている優しさを受け取った。その事実を抱きしめたら、もうすこしだけわたしは、わたしをやれる。小さな奇跡のように、その夜の風景を噛み締めて、わたしの影はわたしを置き去りにはしないと、そう信じて、あとすこしだけ強くなって、わたしを歩いていこうと思った。
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