けなげ - 2004年04月21日(水) いつもはおちゃらけている僕ではあるが、たまには、マジメな話をしてみたい。 最近、「けなげ」という言葉を、とんと聞かない。 「けなげ」とは、平たくいえば、自分の不利な状況にめげたり、それを不当だなどと声高に異議を唱えたりすることなどなく、真摯に努力するさまだと思う。 いまのわが国では、何かといえば「国が悪い」「社会が悪い」と言って、地道に努力することを放棄している人間が多いが、そういう言動はむなしいことだと思う。 やるべきことをやって、その上で筋の通らないことに憤るのならともかく、最初から全てを投げ出しているんじゃダメだ。 ホント、いまのこの国では、最小限の努力しかせずに、最大限の幸福を享受する権利があると思っているバカ者が多すぎる。 「けなげ」という言葉が死語になりかかっているのも、「けなげ」な人間が消えつつあるからに、ほかならないであろう。 だが、世の中、たまには例外もある。 僕の知っている女性に、Tちゃんという子がいるのだが、彼女はいまや絶滅寸前の「けなげ」な子のひとりなのだ。 彼女は20才台前半。地方出身で、高校卒業後、数年前に上京してきた。 彼女は家族が多い。まだ小学生の子も含め、3人も妹がいる。 お父さんの稼ぎだけでは、妹たちを学校に通わせるのが大変なので、彼女は東京まで出稼ぎに来ているのだ。 地元には、若い女性の就職先が少ない。 せいぜい、市役所か、地元の中小企業くらい。給料だっておおむね安い。 そこで仕事を求めてはるばる東京まで来たのだが、東京という場所自体はあまり好きでないらしい。 「東京のひとたちって、冷たいひとが多いように思うんですよ」 と彼女はいう。 昼間はエステの仕事、夜はお水のバイトと、寝る以外の時間はほとんど仕事。 土・日だって、休みはほとんど取れない。 で、稼いだお金は自分の生活費と家族への仕送りへと消えていく。 東京出身で親掛かりの同世代の女の子たちが、お給料の大半を食べたり、遊んだり、着飾ったりすることに回しているのに比べると、気の毒なくらい、金銭的余裕がない。 チャラチャラ遊んでいるヒマも、もちろんない。 でも、Tちゃんがそのことをグチったりするのを聞いたことは、一度もない。 「ひとはひと、自分は自分」 そう、考えているようだ。 余分なお金や時間がないなりに、日々の生活のなかに楽しみもちゃんと見出しているようだし。 こういう子がまだいる以上、「けなげ」は死語なんかじゃない。強くそう思う。 ...
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