星降る鍵を探して
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2003年07月10日(木) |
星降る鍵を探して3-4-5 |
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危険だ、と、剛は思っていた。流歌が「先生」と呼ぶこの男は、剛の本能を逆立てるような雰囲気を発していた。今彼は扉の前に立っているから、剛にはほとんど背中を向けている。それなのに――この、威圧感は、なんだろう。 見ようによっては流歌だけに対峙して、剛のことなど頭から無視しているようにも思える。 しかしそれは誤りだ。「先生」は剛を警戒しているからこそ、流歌を剛の視界から完全に隠すためにその場所に立っているのだ。少なくとも剛にはそう思え、彼は拳を握りしめた。背後から攻撃するというのは彼の趣味に合わないどころか信条にも反することなのだが、この男に関しては、そんなことを言っている場合ではなかった。 けれど。 無防備なはずの背中に、剛は射すくめられていた。まるで背中にも目があるみたいだ。いや、「みたいだ」ではなくまさにそうなのだろう。目はないにしても、この男は剛の一挙手一投足に反応できるように神経を張り巡らせている。そして、流歌を剛の視線から隠しているのは、まさにそのためなのだと気づいて、剛は歯がみする思いだった。もし剛が動いたら、流歌がどうなるかわからなかった。どうしてこの位置に立たれる前に排除しておかなかったのだろう、と今更悔やんでみても遅い。 そして――最後に見えた、流歌の表情が。 あんなに危うい表情を、剛は今まで見たことがなかった。 ――その男は何者なのだ。 状況さえ許せば、叫びだしたいくらいだった。 「今まで、何をしていた?」 男はゆっくりとした口調で、流歌に訊ねている。返事をするなと言いたかった。これ以上、その男と、関わり合って欲しくなかった。言葉はもちろん、視線の一瞥すらも、これ以上その男に与えないでくれ、と――言えたなら、言える立場に立っていたなら、どんなにいいだろう。 その時だった。 流歌の様子を少しでも掴みたいと、全身の神経を張り巡らせていたからだろうか。剛の耳に、ある物音が届いた。それはまだかすかな音にしか過ぎなかったが、聞き間違えようがなかった。近くの階段の下の方から、どやどやと数人が駆け上がってくる音だ。 ――仲間が来たんだ。 上がってきてしまったら万事休すだ。剛は階段とは逆の方へにじり寄った。剛は、受験の時にもこれほど頭を使ったことはないというくらいの勢いで考えていた。階段の方から男の仲間がやってくる。捕まったら一巻の終わり、だから、階段とは逆の方へ逃げなければならない。だが流歌はまだ研究室の中にいて、異変に気づいていない。「先生」という男と向き合って、立ち尽くしている。 ――こやつに殴りかかるわけには行かない。 そんなことをしたら流歌がどうなるかわからない。何しろ男が払っている注意は、剛へ向ける方が遙かに強いのだから。 ――ならば、須藤流歌に、自力でこちらに来てもらうしかない。 だがあのような顔をしている須藤流歌に、自分の声が届くとは思えなかった。流歌の中では、自分はほんの取るに足らない存在でしかない。あのような目で、見つめられるような存在ではない。悔しかった。危険が迫っているのに、それを警告しようと声を出してはあの男が流歌を害するかも知れず、そもそも流歌は剛の声など聞かないだろう。今流歌は全身全霊を込めてこの男を見つめているのだ。もし、危険を告げるのが剛ではなくせめて圭太だったなら、流歌の耳にも届くかも知れないのに。 思い悩む内にも、足音は迫ってくる。 ――くそ……! 剛は、やけくそになった。俺の声が届かぬと言うのなら、と剛は思った。届くようにしてやればいいのだ。簡単だ。俺にしか、言えない言葉がある……! 「須藤流歌ー!」 剛は精一杯の銅鑼声で叫んだ。 「『警邏会』の怒れる孫悟空! 俺は……!」
その声は、いつも通り、大変な威力を発揮した。
叫ぶや、目の前にいた男がぎょっとしたように身を引いた。その隙間から、流歌が、弾丸のように飛び出してくる。 「……だれが、孫悟空ですかー!」 次いで繰り出された蹴りはいつも通りすさまじかった。普段ならばかわすことなど絶対に出来なかっただろう、だが、今は、悠長に蹴りなど食らって昏倒している場合ではなかった。普段でも昏倒しているのはほんの数瞬のことなのだが、今はその数瞬すらも惜しい。切羽詰まったら人間結構何でも出来るようで、剛は流歌の壮絶な蹴りを紙一重でかわした。すばらしい。快挙だ。これがいつも出来るなら、全国大会での優勝も夢ではない。 自分の鼻先をかすめて、思い切りの良い蹴りが行き過ぎていく。 剛はその細い足を鷲掴みにした。してから再び驚いた。飛んでいる蠅を箸で捕らえたという剣豪も、今の剛の身のこなしには驚嘆するに違いない。少なくとも流歌は驚嘆したようで、「え?」と可愛らしい声を残してバランスを崩す。 「ゆくぞ」 流歌をひょい、と体ごと肩の上に担ぎ上げて、剛は一目散に走りだした。
--------------------------- 引越しと旅行のため、しばらく更新がまちまちになります。 少なくとも明日はお休みです。実家帰って犬に会ってきます。
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