星降る鍵を探して
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2003年07月09日(水) |
星降る鍵を探して3-4-4 |
しかし宮前の前で、流歌に、その疑念を話すわけには行かなかった。何しろ流歌は今、剛よりもよほど宮前に近い方に立っている。万が一にも宮前が流歌を害することがあってはならない、そう思った剛は、流歌を自然に促すために先に部屋から出た。廊下に出、そして部屋の中を振り返る。顔にこそ出さないが、祈るような気持ちだった。 「早く来い」 これ以上、彼女をこの危険な研究所の中へ、留まらせておきたくない。宮前にこれ以上心を許して欲しくない。人を疑うのは厭なものだが、流歌を無事に連れ出すためならどうということもない。 流歌の肩越しに見える宮前の顔は、眼鏡に光が反射していてよく見えなかった。 「行くぞ。来んのか」 「あ、はい。行きます。すみません宮前さん、すっかりご馳走になって」 流歌はくるりと宮前を振り返り、ぺこり、と頭を下げた。 「すっかり片づいたら、お礼に来ますね。あたし、行かなくちゃ」 そして流歌は再びくるりと身を翻した。剛はホッとした。剛の突飛な行動に、疑念は持ったにしても、素直に従ってくれたのが嬉しかった。自然に顔がほころぶ。こちらに向き直った流歌が、軽やかな動きで、こちらに向かってやってくる。 しかし。 「――そうはいかない」 出し抜けに、声が響いた。 初めは長津田の声かと思った。男の声だったからだ。この場にいる男は、剛を覗けば彼しかいない。しかし長津田ではなかった。彼の声にしては、高い。 男の声にしては、どちらかと言えば高め。だが全く耳障りではなく、わずかに喉に引っかかるような―― 剛の視線の先で、流歌が硬直している。 流歌の視線を追いかけて、剛は自分の左を見た。 開いた扉を押さえるように、いつの間にか、見知らぬ男が出現している。 一体どうしてこんなに近づかれるまで気づかなかったのだろう。剛は本気でいぶかしんでいた。男は剛よりも背が低く、中肉中背と言ったところだろう。やせすぎもせず、太ってもいず、顔立ちもごく普通だ。茫洋とした雰囲気の男だ、と剛は思った。もし、この男と別れてしばらく経ったら、顔も思い出せなくなりそうな。 しかし、その目は、剃刀のように鋭い。 「せ……ん、せ、い……」 流歌の口から、喘ぐような声が漏れた。
*
先生。 流歌は戸口に佇む男に気づいて立ちすくんだ。 いつの間にそこにいたのだ、とは、思わなかった。桜井は昔からそうだった。足音を立てないばかりでなく、気配が本当に希薄なのだ。剛のように、立っているだけで自己主張をするような強烈な気配とは全く質が違う。 「久しぶりだな」 桜井は、にこりともせずにそう言った。そして静かに位置を変えて、戸口の前に立った。流歌は後ずさった。いつかこうしてまた会う日が来るのだと、わかっていたはずなのに。覚悟も、していたはずなのに。唐突に過ぎて、心の準備が出来ていない。 ――先生。 「元気そうで何よりだ」 何よりだとは全く思っていない口調。言葉に感情がこもっていないのも相変わらずだった。先生の真意を探るのは、微分積分を解くのより遙かに難しい。 ――先生。 「見つかって良かったよ。お前はすばしっこいからな」 桜井の声音が、麻痺したような流歌の頭の中を滑り抜けていく。体中が硬直していて、指一本すら動かすことが出来ない中で、心臓だけがものすごい勢いで打ちまくっていた。どくどくどくどく脈打つ心臓が、恐れているのか、それとも踊っているのか、自分のことなのに判断が出来ない。 ――先生、先生、先生…… 頭の中でただ、繰り返すことだけしか、できない。
会いたくなんてなかったのに。 会いたくて、たまらなかった。
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