星降る鍵を探して
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2003年07月08日(火) |
星降る鍵を探して3-4-3 |
宮前さんは、ため息をついた。全くどうしてラーメンのことになると見境がないのかしら、などと、ぶつぶつ口の中で呟いている。 その時だった。 ずっと静かに食べ物を詰め込んでいた剛が、コトリ、と箸を置いた。 そして、こちらを見る。 「須藤流歌」 重々しい口調に、思わず背筋が伸びた。 「は、はい?」 「もう、食わんのか」 言って顎で流歌の手の中のラーメンを示した。見やるとこちらのラーメンはまだ半分以上残っていて、剛のラーメンは既に汁もない。綺麗に食べるんだなあ、と感心してしまう。 流歌の返事を、剛は黙って待っている。もしかして欲しいのだろうか。そう思って流歌は首を振った。 「いえ、もうだいぶお腹が一杯で。……いります?」
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いりますか、と聞かれて剛はぐっと言葉に詰まった。別に欲しくて言ったわけではない。言ったわけではないのだが、流歌があっさりと自分の分を差しだそうとする、その気安さに、剛はそんな場合ではないと思いつつも感動してしまったのだ。 ――ま、まるで仲の良い友人のようではないか……! ももももしくは恋人のよう……いや、そこまでは言い過ぎだろうか。い、いやしかしひとつの鍋からものを分け合うというのは人間関係を一挙に親密にすると言うし……! 今まで目があっただけで即座に逃走されていたことを思えば、並んで食事を取ると言うだけで天にも昇りたいような気持ちであるというのに。 いや、落ち着け、俺。剛は舞い上がりそうな自分を戒めた。今は非常事態なのだ。須藤流歌の差し出したラーメンを嬉しく啜っている場合ではないのだ。ないのだ。……ないのだが、この期を逃してはこんなチャンスは二度と巡ってこないかも知れない。ラーメンの半杯ごとき食べるのにそれほど時間もいるまいし、ここはいっそ……いやまて今はそれどころじゃ……! 苦悩のあまり剛はそのグローブのような右手を握りしめ、 「し、清水さん?」 挟まれていた箸がばきりと音を立てて折れた。流歌が驚いたようにちょっと身を引いた。それで我に返る。 「い、いや、おおおお俺ももはや腹がくちくなっておってな」 「……そうですか」 流歌は剛の異様な様子を少しいぶかしんだようだが、素直にもラーメンのカップを引っ込めた。剛はホッとした。ホッとしたが、かなり残念だった。やっぱり欲しいと言い出すのもおかしいし。ああ、我ながら、 「女々しい」 「はあ?」 「いや何でもないのだ。とにかくだ。もう腹ごしらえは済んだな」 「はい」 流歌が頷く。ああ、須藤流歌とこのようにまともに顔をつきあわせて会話が出来るなんて、と幸せの世界に入り込んでいきそうな自分を引き戻し、 「ではゆくぞ」 剛はきっぱりと言って立ち上がった。そして長津田と宮前という風変わりなカップルに、体育会系の礼をした。両足を広げて立ち、背筋を伸ばし、腕を後ろで組んで、言うのである。 「世話になりました!」 腹の底から響くような大音声で口上を述べるのが本式なのだが、今は大声を出せるような事態ではない。宮前はぎょっとしたように顔を上げた。恐らく言葉の内容に驚いたのだろうと簡単に察しを付けて、剛は言葉を継いだ。 「全てが片づきました後にこのご恩を返しに参ります!」 「え、ちょっと待って――」 「先を急ぎますので今日はこれにて! 須藤流歌! 立て!」 「は、はい!」 つられたのか、流歌がはじかれたように立ち上がった。 「ゆくぞ! 続け!」 号令をかけてくるりときびすを返す。しかし今度は流歌は続かなかった。 「え、ど、どこに?」 「清水くん、ちょっと待ってよ」 宮前が慌てて立ち上がる。剛は構わずにずかずかと部屋を横切り、綺麗に整った研究室の中に入り込んだ。立ち止まらずにそこを突っ切って扉を目指すと、背後から慌てたように流歌が追いかけてくる。 「待ってください! そんないきなり」 「いきなりじゃない。よく考えれば今は呑気に飯など食っておる場合ではないのだ。そうだろう?」 「そ、そりゃあ」 「俺は一人で助けに来たのではないのだ。早いところ奴らと合流して脱出せねばならん」 言った時、流歌を追いかけるようにして宮前が扉から顔を出した。前を開けた白衣がマントのようになびいている。そう、白衣だ、と剛は思った。白衣を着ている。と言うことは彼女はここの職員だ。研究所内の職員はみんな敵だと考えた方がいいこの時期に、一体どうして一緒に飯など食べる気持ちになったものだろう。 もし彼女らが「敵」なのだとしたら? だいたい、同じ研究所内で行われている研究に、全く気づかないことなんてあるだろうか? そうだとしたら……流歌を油断させてこの中に留めておこうと、食事を振る舞ったということだって考えられるではないか。
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