星降る鍵を探して
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2003年07月06日(日) 星降る鍵を探して3-4-1

   4節

 混乱を収めなければ、と、流歌は思った。
 宮前の方は剛の反応に、どうやら敵ではないらしい? とクエスチョンマーク付きではあるにせよ思ってくれたようで、掃除機のホースを構えたままではあるが一歩下がってくれたので、まず、ショックを受けた(らしい)剛を宥めなければならない。
 流歌としてはどうして剛がショックを受けるのか、が第一の謎だった。冷静に考えれば、この研究所の中で流歌が剛から逃げ回るなんてことがあり得るはずがないではないか。まあ、大学構内ではそれは日常茶飯事だったから、剛が混乱してもしょうがないのかも知れない……と思ってみてから流歌は即座にそれを否定した。そんなバカな。
 それにどうして、流歌が逃げるということがここまでショックなのだろう。
「清水さん」
「……おう」
「どうしてここに?」
 そう、まずはそこから聞かなければならない。どうやら流歌を助けに来てくれたらしいのだが、流歌にしてみればどうして剛が? という疑問が先に立つのだ。助けに来てくれるとすれば、兄と梨花くらいだろうと思っていた。
 しかし剛は事も無げに言った。
「助けに来たのだ」
「……」
 いや、それはそうだろうけれども。
「元気そうだな。何よりだ」
 言って剛はにかっと笑った。大学構内では見たことのない笑顔だった。流歌にとっては清水剛という男は「『拳道部』に入らねばお前を取って食う」と言わんばかりに追いかけ回してくるはた迷惑な先輩でしかなく、剛の姿を見れば一目散に逃げるのが常だったから、こちらを追いかけてくる悪鬼のような形相以外の顔を見たことはあまりないのである。見ていたとしても記憶に残らない。だからこちらの身を案じてくれた挙げ句、嬉しそうに笑った顔が、とても人間らしく見えることにまず驚いた。
「それでだ」
 と、剛は笑顔のまま言った。
「なぜ俺から逃げるのかの理由を教えてもらいたいものだが」
 笑顔なのに、頬の辺りが不安そうにひきつっている。
 流歌はため息をついた。
「逃げてませんて。驚いただけですよ。あたしが逃げてるのはあたしを捕まえた人たちからです」
「捕まえた?」
 と、宮前さんが割り込んできた。
「どういうこと? この所内に、あなたを捕まえた人がいるの?」
 流歌は宮前さんを見た。彼女は純粋に驚いた顔をしている。本当に知らないのだろうか。
 一瞬で覚悟を決めて、流歌は頷いた。
「そうなんです。昨日の晩、ここに連れてこられて、さっきようやく逃げ出せたの」
 宮前さんは目を見開いた。眼鏡の奥で、ややつり上がった綺麗な目が不思議な光を放った。何か思い出したことがあるのだろうか、綺麗に紅を引かれた唇がやや開いた。
 と、その時である。
「……そこ! 踏むんじゃない!」
 流歌の隣で唐突に剛が叫んだ。叫んだばかりでなくのしのしと扉の方へ歩いていく。扉の方では長津田さんが気弱気な声を出した。
「あ、ああ。すみません」
「食べ物を粗末にすると男が廃るぞ。……だから! 踏むなと言うのに!」
「あああ、すみません」
「いいから退け! ……だからどうして踏むのだ!」
 何だか仲良くなっている。遙か年上のはずの長津田さんの方が年下に見えるのは何故だろう。宮前さんはそちらを振り返って、苦笑した。
「全部ダメになる前に食べた方がよさそうね。お腹、空いてるでしょ?」
「え? ……あ、はい」
 言われてみると自分が空腹だと言うことに気づいた。一度気づくとその空腹は、もはや耐え難いほどになっている。宮前さんは先ほど流歌が眠っていた方の部屋の扉を開けて、流歌を差し招いた。
「さっきカップスープ見つけたの。大したものはないけど、一緒に食べましょう。……悪いけど頑張って食べてね? あの人、五人家族が一月は生き延びられるくらいの買い物をしてくるのよ、いつも」
 ややして散乱した菓子パンのたぐいをまとめ直した剛が長津田さんを先導してこちらにやってくる。
 こうして、人間もメニューもとても珍しい取り合わせの会食が始まったのだった。


相沢秋乃 目次前頁次頁【天上捜索】
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