星降る鍵を探して
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2003年06月26日(木) |
星降る鍵を探して3-2-5 |
「どこへ運ぶのだ」 袋に詰め込みながら剛は訊ねた。男はぼーっとしたまま剛が手際よく袋に詰めていくのを見つめていたが、ややあって、答えた。 「すぐそこなんだが、ドアを開けられなくてね」 「そう言うときには一度床に下ろせばよいのだ」 「なるほど」 男はまじめに頷いた。 「一理ある」 一理も何もそれしかないと思うのだったが、剛は黙って作業を続けた。それにしても膨大な量だ。 「一人では食べきれないだろう」 気がつくとそう訊ねていた。カップラーメンならまだしも、菓子パンやおにぎりのたぐいはそう長持ちするものではない。もってせいぜい三日というところだろうが、これだけの量だ。腐らせずに一人で食べきるのは無理だろう。 男はまじめに頷いた。 「お客さんが来ていてね」 「お客さん……?」 「女の子だ」 「女の子?」 「女の子がどれくらい食べるものなのか、知らないんだ。俺なら一度に食べるのはカップラーメン二つとパン五つというところだが」 カップラーメン二つにパン五つ。 剛は頷いた。自分もそれくらいは食べる。男は剛の同意を得られて安心したような顔をした。そして、「けれど、」と呟く。 「珠はカップラーメンをひとつか、パンを二つ。どちらかだ」 「たま?」 猫か? と思ったが、猫がカップラーメンなど食べるだろうか。男はああ、と呟いて、わずかに目尻を下げた。 「彼女だ」 「そうか」 くそ、幸せそうな顔をしおって。と思ったがもちろん口には出さない。 「彼女は小食なんだ。カップラーメンとパンと両方は食べられない。だが、彼女が飛び抜けて小食なのかどうかがわからないんだ。あの子は恐らく二十歳前後だと思うんだが、二十歳前後の女性がどの程度食べるものなのか。データを取っていなくてね。足りないよりは多い方がいいだろうと」 「ひとつ、言って良いか」 剛が口を出すと、男は重々しく頷いた。 「なんなりと」 「いくらその女性が大食いでも、こんなには食べないと思うぞ」 「そうだろうか」 「一般的に言って、女性は俺たちよりも小食だ。体格を見たらわかるだろう。つまり、その女性の分は貴様が食べる分と同じ程度買ってきたら絶対余る。そういうものだ」 「……」 男はまじまじと剛を見つめている。剛は散乱したパン類を全て袋に詰め終えて、顔を上げた。男はなにやら考え込んでいたようだったが、感嘆しきったという口調で、呟いた。 「君は頭がいいなあ」 ……いや、それほどでも。剛は身じろぎをした。こんなことで誉められては何だかいたたまれない。 「そういうことが俺はどうも苦手でね。珠に言わせると、俺には一般常識というものが欠けているそうだ」 言って男は恥ずかしげに笑った。 剛は袋を二つ男に渡した。男が深々と頭を下げる。 「どうもありがとう。おかげで助かったよ。自分で詰め直していたらきっと三つくらいはダメにした」 それはそうだろう。拾うために屈もうとするだけでパンの上に足を乗せる男だ。 剛は残りの三つを自分で持ち上げた。男は剛の意図に気づいたのか、嬉しそうに顔をほころばせた。 「ありがとう。助かるよ。あとの難関はノックだけなんだ」 ……ノックごときを難関だと言う人間は初めて見た。 呆れた剛の前で、男は嬉しそうに、すぐそばの扉に向かった。
* * *
――協力するわよ、って。 流歌は宮前さんを前にして少しの間悩んだ。協力するわよ、と言われても……一体何を協力してもらえばいいのだろう? それに、そう、この人に事情を話すのはいいけれど、この人が「敵方」じゃないという保証はどこにある? ――でも、今は一人だけだし。 そう考えて、流歌は心を決めた。目の前にいるこの女性は、到底強そうには見えなかった。いざとなったら逃げればいい。となれば長津田さんが戻ってくる前に話して見極めておくべきだろう。 もう遅いかも知れないけれど。 「あの……実はですね、えーと、追われておりまして」 「うん、それはわかってる。誰に追われてるの?」 「えーと」 どこから話そうか、流歌は頭を探った。宮前さんが興味深そうに、流歌の顔を覗き込んでくる。 と、そこへ。 こん、こん。 やけに間隔のあいたノックの音がした。宮前さんはぱっと顔を上げた。掃除機を放り出して、扉に駆け寄る。 「流歌ちゃん、ちょっと待ってね」 いいながら、いそいそと扉を開ける。向こうに立っていたのは何故か誇らしげな顔をした長津田さんと、 「早かったのね……え?」 扉の向こうにいたもう一人の人物をみとめて宮前さんが動きを止め、 「……」 「……」 「……」 沈黙。 息詰まる空白の中に数瞬が過ぎて、 「……す、」 どさどさどさ、と袋が落ちた。 そして扉の向こうの丸刈り頭が絶叫した。 「……須藤流歌ー!」 「わ、わああああああっ!?」 流歌は反射的に悲鳴を上げていた。考えてみればひどい仕打ちだが、これはもはや条件反射というものだから仕方がない。扉の向こうに清水剛が立っていたことも全く予想していなかったし、その時の剛の形相と来たらなまはげもかくやというすさまじさだった。扉のところに立ちすくんでいた宮前さんを押しのけて剛は中に踏み込み、そして、 跳躍した。 ずしぃぃぃぃぃ……ん。 流歌の目の前に巨体が着地する。飛びすさった流歌の背中が奥の壁にどんと当たって彼女は狼狽した。扉が閉まっている。逃げ場がない。立ちすくんだ流歌の目の前で、剛がゆらり、と体を起こす。 「……見つけたぞ」 そしてニヤリと笑う。丸太のような腕がゆっくりと延びてくる。怖い。まるでホラー映画だ。どう対応していいかわからないまま流歌は何とか剛から距離を取ろうと試みた。どうして剛がここにいるのか、いったいどこから湧いて出たのか、どうして長津田さんと知り合いなのか、数々の疑問が頭の中でぐるぐると渦を巻いて流歌の四肢を縛り付ける。 と、 「くせ者おっ!」 がこん。剛の背後から延びてきた灰色の棒が剛の脳天に直撃した。見やると宮前さんが掃除機のホースで果敢にも剛に攻撃を仕掛けている。 「流歌ちゃん、逃げなさい! こいつに追われてたのね、このあたしの目の前で流歌ちゃんを捕まえようったってそうはいかないわよ、この、この!」 えー、と。 ……誤解だ。 思い至って流歌は慌てた。なるほど剛のこの悪人顔と巨大な体に加え、先ほどからの自分たちのやりとりを見ていたらそう取られたとしても仕方がない。そう悟る内にも剛の後頭部に加えられる果敢な攻撃は続いており、ついに剛が振り返った。 「痛いではないか! 何をする!」 それだけか。 「叩いてるんだから痛いに決まってるでしょ! 流歌ちゃん何やってんのよ、さっさと逃げなさい! こいつから逃げてたんでしょ!?」 「いやそれが、違――」 「なにいっ!」 剛がこちらを振り返った。風圧で吹っ飛びそうになった流歌に、剛はすさまじい形相でつめ寄ってきた。 「俺から逃げてたのか!?」 なんで清水さんまでそういう結論に達するんだろう…… 思わず遠い目をしてしまう。流歌の目の前で、混乱はしばらく続いた。扉の方では、長津田さんが散乱した菓子パンの山を黙々と片づけている。
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