星降る鍵を探して
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2003年06月23日(月) |
星降る鍵を探して3-2-2 |
「大丈夫?」 「だ……大丈夫です……」 涙目になりながら、何とか答える。覗き込んでいた宮前さんは、流歌に並ぶようにして、ソファの外に寝そべっていた。大人びた顔立ちが、流歌を見てにっと笑う。その体勢と笑顔が、ずっと年上に違いない彼女を同級生のように思わせた。 宮前はしげしげと流歌を見ながら、不思議そうに訊ねる。 「何、してるの?」 「……」 寝てたんですが。とはもちろん言えなかった。宮前が聞いているのはきっとそういう意味じゃない。 流歌が言いよどんでいると、宮前は身を起こした。床の上にぺたりと座り込んで、手招きをする。 「まあ、とにかく出てきたら。あ、でも、待って。まさかとは思うけど、敏彦がここに隠したわけじゃないわよね?」 不安そうな言葉に笑みが漏れた。なんて素直な人だろう。先ほどのやりとりが少し聞こえていたから、あのぼさぼさ頭の、育ちの良さそうなギャングのような男の人と、この宮前さんという女性が、親しい関係にあるのだろうと言うことは予想できる。流歌はいいえ、とはっきり口に出して答えた。 「違います。隙をみて潜り込んだの」 「そう、よかった」 宮前がにっこり笑う。その屈託のない笑顔につられて、流歌ものそのそと這い出しながら微笑んだ。 しかし、 ごとり。 這い出した流歌の背中から重くて固いものが落ちて、宮前さんが目を見開いた。その表情を見て、すっかり存在を忘れていた拳銃を落としてしまったことに気づく。全くもう、この拳銃を持っているとろくなことにならない。ごとりと落ちた拳銃をそのままにして硬直していると、宮前さんはやや考えていたようだったが、流歌が手を出さないのを見て、ふっと笑った。 「落としたわよ。それ、あなたの?」 「ち、違います」 しかしまさか、自分を見張っていた男を昏倒させて奪ってきたのだとも言えない。 「わけありなのね」 「そうなんで……す」 答えながら、はたと気がつく。一体何をのんきに話しているのだろう。この人はさっき、拳銃を落としたあたしを見て、「銃を持った不審者がうろついている」と通報したのではなかったか。そう思って身構えた流歌を見て、宮前さんは困ったような顔をした。 「さっきも会ったわよね」 「ええ」 「自己紹介もしてないわ。あたし宮前珠子。あなたは?」 「す、須藤流歌です」 「見学者じゃないわよね。どうしてここにいるの?」 この人は――。 流歌は思案を巡らせた。純粋に考えれば、この人は、流歌が連れてこられた研究所の一員なのだから、「敵方」に分類できる。しかし流歌が迷うのは、高津ができるだけ研究所内の普通の人たちに接触しないように、と、指示を受けていたらしいためだった。ここで行われている研究はもちろん、人に大っぴらに言えるようなものではない。だから、研究所内でも知っている人はごく限られるのではないかと予想はついていた。 さっきの梶ヶ谷というヒステリックなおじさんは、「先生」を知っていた。だから、たぶん「ごく一部の人間」というわけなのだろう。 でも、この人は……? この人はあたしを知らなかった。だから、もしかしたら、何にも知らない人なのかも知れない。 「あのう」 意を決して打ち明けてみようか。思案しつつ流歌は口を開いた。 しかし言葉を紡ぐ前に、隣の部屋で、がしゃーん! という派手な音が響いた。音はそれだけに留まらず、『がん』だの『ごん』だの『どさどさどさっ』だのといった破壊的な音が続いて、宮前さんがぱっと立ち上がった。 「敏彦ー!」 叫びながら身を翻して、扉を開ける。開けて彼女は立ちすくんだ。 そして、叫ぶ。 「今片づけたばっかりだってのに一体何してんのよあんたはー!」 「ご、ごめ」 「ごめんじゃない! あ、待って動かないで! ……きゃー!」 どーん! 隣の部屋で再び派手な音がして、宮前さんはほとほと呆れたというように額に手を当てた。長津田さんというあの男の人が、部屋を魔窟にする過程がよくわかった……気がする。宮前さんはため息をつきつつこちらを振り返り、そして、苦笑いをした。 「お願いがあるの」 「……何でしょう」 「手伝ってくれないかな。……交換条件。あなたがここにいることと、それを持っていることは、誰にも言わないから。お願い」 もちろん流歌に否と言えるはずがない。 しばらくの熟睡で体力を取り戻した流歌は、宮前さんと一緒に、破壊のあとを片づける羽目になったのだった。
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流歌を見た長津田敏彦さんは心底驚いたという顔をした。自分の部屋に流歌が忍び込んでいたことに全く気づかなかったのだろうと流歌は想像した。長津田さんが何か言いかける前に、宮前さんがスリッパを渡してくれた。そして、長津田さんを睨む。 「そこにいて。動かないで。流歌ちゃん……って、呼んでも?」 「ええ」 「本は全部本棚に入れてね。書類はあたしがさっきまとめたばっかりだから、ほとんど順番通りになってると思うの。ひとまとめにしてあの箱に入れて。敏彦」 「はい」 長津田さんは神妙に返事をする。宮前さんは長い黒髪をひとまとめにして戦闘態勢を整えていたが、それを終えると腰に手を当てて彼を睨んだ。 「食料、まだどこかにある?」 「いいえ」 何で丁寧語だ。と思ったが、宮前さんの迫力はすさまじく、大柄な長津田さんは申し訳なさそうに身をすくめていた。このカップルの勢力図がよくわかる。 「じゃあ買ってきて。売店はもう閉まってるから外まで。何か飲み物と、菓子パンと、お菓子と、おにぎり」 「種類は」 「何でもいいわ。ゆっくり買ってきてね?」 それはつまり、片づくまで帰ってくるなと言うことだろうか。長津田さんは全て心得ているのか、細かいことはおろか流歌が何者なのだと言うことまで聞かずに身を翻した。しかし危なっかしかった。床にものが散乱しているのをまともに踏みつけてよろけ、倒れそうになって危うく隣の本棚に寄りかかる。しかし手を突いたところが悪かった。かろうじてわずかに残っていた本を全て床に落としてしまい、本棚はついに空になった。 沈黙が落ちる。 やがて長津田さんはばつが悪そうに宮前さんを振り返ったが、彼女は何も言わなかった。にっこり笑って、訊ねる。 「お金、持ってる?」 こ、これは怖い。 「……はい」 長津田さんはしょんぼりして頷き、再び移動を開始した。また何か落とすのではないかと冷や冷やしたが、それほど広い部屋でもないので、本棚を伝っていけばすぐに扉につく。ようやく扉にたどり着いた長津田さんに、最後に宮前さんが、今気がついたと言うように声をかけた。 「あのね、この子はあたしの友達なの。でも人に知られたら、六時を過ぎてまだ残してたのかってあたしが怒られるから、誰にも言わないでね。お願い」 「……わかった」 長津田さんは頷いて、大丈夫だ、というように流歌にも頷いて見せた。扉を開けて、外に出ていく。彼が無事に外に出たことに宮前さんはホッとしたような息をつき、苦笑してこちらを振り返った。 「ごめんね。ホント、困った人なのよ」 確かに困った人だ。流歌は部屋中を見回してそう思った。宮前さんが片づけたばかりだというのに、部屋の中は流歌が先ほどここに忍び込んだときとあまり変わらない惨状だった。あんなに短期間で全てを床に投げ出すなんて、一体どうやったらそんなことが出来るんだろう。しかし宮前さんが本当には困っていないことがよくわかったので、流歌は笑って首を振っただけだった。 時計を見ると、はやくも六時半だった。二時間近く眠っていた計算になる。
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