星降る鍵を探して
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2003年06月16日(月) |
星降る鍵を探して2-4-2 |
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その頃の清水剛。 運良く特急に乗ることが出来、剛はその巨体をシートに埋めていた。やや緊張していた。特急になど乗るのは初めての経験である。傍らのマイキは珍しそうにきょろきょろと辺りを見回し、二度ほど駅に止まった度ごとに「降りなくていいのか」というような目を向けて来た。また車内販売に興味津々であり、通り過ぎるワゴンをいつまでも目で追っている。言葉による催促こそしないものの、無言の、そしてひたむきな渇望に負けた剛は、先ほどアイスクリームを買ってやった。小さなカップひとつが三百円というのはぼったくりではないかと思ったが、 「旨いか」 マイキが真剣な顔つきでカップに挑んでいるのに思わず笑顔を誘われて、そう訊ねた。あまりにも真剣にそして旨そうに食べるから、三百円ならさほどのこともないと思える。マイキは真剣にこくりとひとつ頷き、そして気がついたようにカップと木の匙を差し出してきた。食べるか、と訊ねているのがその目でわかる。 「いや、いい。とける前に食え」 こくり。 マイキは頷いて再びカップを覗き込む。あまり急いで食べると腹が冷えるとか、よくかき混ぜてクリーム状にして食べると旨いのだとか、つい余計なことを言いたくなる真剣さだ。 こんなに真剣に、かつ旨そうに食べる少女から、一口もらうというのはかなり勇気がいると思う。横取りするようで申し訳ない上に、何だかデートのようではないか。 許せ、新名卓。 そして須藤流歌、この同行は偶然であって意図したものではないのであって誤解しないで欲しいのだ。 心の中だけでごにょごにょと呟いて彼はシートに体を預けた。目的地まであと一駅である。汚れた道着をきた丸刈りの巨体と、小さくて可憐な少女の組み合わせというのは端から見ればかなり目を引く光景だったが、彼は周囲の――特にワゴンの女性の――興味深そうな視線には全く気づいていなかった。
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爆弾の在処を示す印は、地図に四ヶ所記されていた。 克はそれほど苦心することもなく、まだ卓とその追っ手が立てる騒ぎがタワー内に響きわたる内に、三つを解除し終えていた。残るは後ひとつ。最後のひとつも難なく見つけてその前にしゃがみ込む。何だか拍子抜けするほど簡単だ。慣れた手つきでペンチとニッパーを使い始めながら、克は上の空だった。もはや集中せずとも解除できるようになってしまったのが我ながら恐ろしい、などと考えることもなくぼんやりと昔のことを思い出している。 桜井昇という男と初めて知り合ったのは――もう、十年ほど前になるだろうか。克は現在の卓とほぼ同い年、大学に入学したばかりだった。同じ学部の同級生だったが、初めはそれほど親しかったわけではない。ただ同じ授業をいくつか取っていたと言うだけで、言葉を交わしたことも数度しかなかったはずだ。第一印象はそれほどよくなかった。悪くもなかった。どことなく茫洋としたつかみ所のない奴だな、と思っただけで、さほど印象が強かったわけではない。 毎日のように顔を合わせるようになったのは、学年が上がって、同じ教授に師事するようになってからだ。 よく話すようになって初めて、「不思議な奴だな」と思うようになった。覚えているのは学食のこと。克はその頃からよく周囲に気を配る癖がついていたが、ごった返す学生食堂の中では、桜井に声をかけられるまでその存在に気づきもしなかった。 『新名』 あの時はかなり驚いたからか、かけられた声を今でもまざまざと思い返すことが出来た。 『ここあいてるぞ』 振り返るとほんのすぐ側に桜井がいて、盆を取り落としかけるほどに驚いた。どうして気がつかなかったのかとほとんど愕然とした。その顔を見てすぐに、これは本当に桜井だろうかと思った。桜井の雰囲気ががらりと変わっていて、今まで埋没していたのが嘘のように際立って見えたのだ。思わずまじまじと桜井を見つめてしまい、桜井はどうしたんだよ、と言った。 『わざとやってるのか』 気づいたらそう言っていた。 普段のあの茫洋とした、人混みに紛れてしまえば見つけることも難しいような希薄な気配は、生まれつきのものではなく、わざと作り出しているのではないのか。 桜井は戸惑ったような顔をした。恐らく質問の意味が分からなかったのだろう。克もすぐに「何でもない」とごまかしたから、話はそこで終わった。だがその後も何度か同じようなことがあり、克の疑問は確信に変わった。思えばあいつは足音も立てなかったような気がする。成績は抜きんでるほど良くもないが、話してみるとひどく頭の回転の速い奴だと思った。どんな仕事に就いたかさえ知らなかったのだが、思い返してみればこのタワーの中にいてもおかしくないと思える、そんな男だった。「あいつが相手なら卓も危ないかな」という克の危惧は、学生時代のそんな印象から来ている。 ――変な奴だったな。 爆弾を手際よく解除しながら、克はぼんやりと考えていた。外見の印象もとても希薄で、五年以上一度も顔を合わせていないから、今ではその外見を思い出すことも難しい。ただ桜井の声だけはとても印象的だった。どちらかと言えば高めで、わずかに喉に引っかかるような声―― 「……新名」 記憶とそっくり同じ声が響いて、克は一人頷いた。そう、まさにこんな声だ。 「新名だろ」 「わあっ!?」 克は珍しく仰天した。いつの間にか、桜井が左のやや前方に立っていた。タワーの中はもはや真の暗闇に近い。桜井の顔は見えなかったがその声は聞き違えようがなく、相変わらず気配を周囲にとけ込ませることが上手い奴だと思う。 「久しぶりだな」 桜井の声は落ち着いていた。 「何、してるんだ」 動揺のかけらも見あたらない平然とした口調。克は狼狽を押し隠して立ち上がった。心臓が飛び跳ねているのを何とか押さえ込む。動揺した自分がひどく悔しい。出来るだけ動揺を押し隠してわけもなく胸を張った。 「……見ればわかるだろう」 「いやそういう意味じゃなく」 桜井は言って、苦笑した。 「変わらないなあ新名。暗くてもすぐわかったよ、その馬鹿でかい体つき。隠密には不利だな」 克は暗闇の中で目を見開いた。隠密。克の最近までの職業を知っているのだろうか。やめたのはほんの一ヶ月前だから、今は違うと言うことまでは知らないようだが。 桜井はしばらく克を見ていたが、ややあって息をついた。 「……そうか、圭太の側(がわ)にはお前がいるんだな。下にいるのは弟か」 「おとうと、」 「『こんのくっそ兄貴ー!』」 桜井は上手に先ほどの卓の声色を真似して見せ、面白そうに笑う。 「弟を囮にして爆弾回収とはね。まさにくそ兄貴だな」 そして再びため息をついた。 「圭太はここにはこないのか。せっかく準備してたのに、残念だな」
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