星降る鍵を探して
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2003年06月13日(金) |
星降る鍵を探して2-3-3 |
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廊下の外では、長津田がしおたれている。彼女との約束をすっぽかしてしまうたびに本気で落ち込むのだが、研究に没頭する度にやってしまうのだ。広い肩をしょんぼりと落とした彼の前で、宮前が、しょうがないわね、と言った。 そしてにっこりと笑う。 「それがね、あたしも梶ヶ谷先生との議論が白熱してしまったので、どうせ約束の時間にはいけなかったの。あなたを待たせたんじゃないかと思ったけど大丈夫そうね。よかったわ」 「ああ――」 長津田はホッとしたような笑顔を見せた。育ちの良いギャングと言った顔立ちが安堵にゆるむ様はちぐはぐな印象を与えて可愛らしい。宮前も笑みを見せる。 「話したいことがあるの。中に入っても?」
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――ああもう、どうしたら……! 流歌はパニックになりかけた。なりかけたが、なっている場合じゃないということもわかっていた。こう言うときには、まず目を閉じるべきだ。そして息を大きく吸って、大きく吐く。それで落ち着かなければもう一度。それでもダメならもう一度。何度か繰り返す内に、やや落ち着いてきて、状況が把握できるようになってくる。はず。深呼吸を繰り返しながら、逃げ道を数え上げる。 ――廊下には二人がいるはずだから出られないし、この扉には鍵がかかってるし、この部屋の中には隠れられるところはないみたいで…… 何てこと、絶対絶命ってやつじゃないか。 いっそ入ってきた二人を殴り倒して。 いやいやダメだそんなことをしたら騒ぎが大きくなるばかりだ。 というかすぐ暴力に訴えるのは人間としてどうだろう。 でも他にどうしたら。どうしたら。あうあう。 思考が混乱してきたので、また目を閉じて、また大きく息を吸う。落ち着いて考えよう。周りをよく見て。何とか隠れられる場所を探すのだ。諦めるのはまだ早い。
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「い、いやダメだ」 長津田は慌てているようだ。その長身で扉を庇うような仕草まで見せる。宮前は当然疑問に思ったようで、首を傾げた。 「あらどうして? 何か隠してるの?」 「いやそういうわけじゃ」 「今日は何だか疲れちゃったの。座らせてくれないかな」 「いやそれがちょっと」 「……どうして? まさか誰か隠してるんじゃないでしょうね。女の子とか」 「そんなわけないだろう」 長津田は慌てるのをやめてそこだけはきっぱりと言い放った。宮前は頷いた。この男が浮気なんかできる人物ではないことは、よくわかっているのだろう。宮前が即座に頷いたことで、長津田はホッとしたようだったが、二人ともそれがほぼ真実に近いということを知る由もなかった。 「じゃあ入れて」 宮前が促す。長津田は困ったように下を向いた。ため息がその無精ひげの間を縫うようにして漏れた。
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――なにかな、これ? 流歌は相変わらず慌てていたが、数度に渡る深呼吸のおかげでようやくその切れ目に気づいた。ノブのやや上の方に、厚さ2〜3ミリ、幅5センチ程度の切れ目が入っている。覗き込むと緑色の光がぽつんと見えて、もしかしてここにカードキーか何かを差すのかな、と思う。気づいてみればその幅はテレホンカードなどのカードがちょうど入りそうに見えた。 長津田さん、鍵どこに置いてるんだろう。 辺りを見回して、流歌はため息をついた。こんな魔窟の中から一枚のカードを探し出すなんて、砂漠の中でオアシスを探すようなものだ。 いやまて、推理をしてみよう。普通そう言う大切なものは机の上に置くはず、いくらずぼらな人だってなくしたら困るだろうから引き出しとか、もしくはもっと目に付くところに置くんじゃないかな。考えながら流歌は背を伸ばして机の上を見やった。いつ二人が入ってくるかわからない状況で、この部屋を再び横切る気力はもうない。しかしコンピュータのモニタや山積みの本が邪魔で机の上はほとんど見えない。戻って探そうかどうしようか迷った時、流歌の脳裏に天啓のようにひらめいたのは、一枚の薄っぺらいカードなら、普通はカードいれに入れて白衣のポケットに入れて置くだろうと言うことだった。 そっか、てことは。 ……万事休すって言うんじゃないのかしら、やっぱり。 流歌はいよいよしゃがみ込んだ。泣き出したいような気持ちだった。もう諦めてしまいたかった。でもそんなことはできない。見つかったらおしまいなのだ。捕まって先生に引き渡されたら今度こそ殺されてしまうかも知れない。ああ、でも、一体どうしたら。 ――白衣の、ポケット……か。 流歌はしゃがみ込んで膝の間に頭を埋めてそんなことを考える。白衣。の、ポケット。ポケット……? そして、カード。セキュリティ解除とか出来るような。
……あ。
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「ねえどうしてダメなのよ」 「いやだからダメというわけじゃなくて、ほら、そ、そうだお茶でも飲みに行こう。この部屋には何もないし」 「怪しい」 「あ、怪しくない」 「いーえ怪しいわ。……あ。さては……」 「……」 「……まさか? そんなはずないわよね、だってあたしが片づけたの一昨日よ、一昨日!」 宮前は長津田を押しのけてノブに手をかけた。長津田は縮こまっている。ノブは軽い音を立てて下がり、彼女は勢いよく扉を開け放って中に踏み込んだ。 中には誰もいない。しかしその惨状を見て、彼女はきりきりと眉をつり上げた。
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高津から拝借したもののなかで唯一役に立ったのは、きらきら光る高津のネームプレートだった。 ネームプレートを入れるとカチリと音がして、あっけなく扉が開いた。その中に滑り込んで扉を閉めるのと、宮前が扉を開けたのはほぼ同時だった。背を閉めたばかりの扉に押し当て、背後で向こうの扉が開いた気配を感じて流歌は床にへたりこんだ。あ、危なかった。本当に危なかった。寿命が三年は縮んだような気がする。 「――と・し・ひ・こおおおおー!」 宮前さんの悲鳴のような声が聞こえる。否、悲鳴と言うよりは、怒っているような…… 「なんなのこれは! 一昨日片づけたばっかりじゃないのよ! カップラーメン食べたらゴミを袋に入れるくらいのことがどーしてできないのよこの馬鹿馬鹿馬鹿!」 長津田さんは下の名前がトシヒコっていうんだ…… 極度の緊張がまださめやらず、流歌は我ながらどうでも良いことを考えた。
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