星降る鍵を探して
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2003年06月09日(月) |
星降る鍵を探して2-2-2 |
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新たに廊下の方から現れたのは女性だった。高津はばつの悪そうな顔をして梨花を放し、そちらに向き直った。気弱げな言葉が高津の喉から漏れる。 「玉乃姐……」 「こんなところで何してるの? 見張りはどうしたの? さっき下で……あら」 玉乃と呼ばれた女性は梨花の顔を見て眉を上げた。梨花は高津から数歩下がって大きく息を吸い込んだ。体中が震えていたが、あの音に絡め取られそうになっていた時に比べたら天国にいると言ってもいいような気持ちだった。大きく深呼吸を繰り返しながら、新しく出てきた女性に視線を向ける。彼女は梨花より、そして高津よりも年上らしく、落ち着いた物腰の美女だった。まず目に付くのは長い、艶やかな黒髪だった。何故か白衣を着ていて、その肩や背にさらさらと流れている。 その黒髪の美女がつかつかとこちらに歩み寄ってくると、高津が慌てたように脇に退いた。女性は眼鏡をかけていた。眼鏡の奥の目は少々垂れていて、この場に不似合いなほどに優しく見える。 「こんにちは。どうしたの? あなた誰?」 「記者です」 と答えたのは高津だった。彼は何故か直立不動になっていた。よっぽどこの玉乃という女性が怖いのだろうかと思ったが、高津の表情を見ると恐れていると言うよりは、 ――崇拝してる? わかりやすい男だった。マルガリータといい勝負だ。高津の目は「うっとりしている」と言っても良く、ほれぼれと玉乃女史の立ち姿を見つめていた。その視線はふらふらとさまよい、形良く盛り上がった胸の辺りに止められたりなんかしたりして。 こらこら、どこを見ているんだ。 とはもちろん口に出さず、梨花は咳払いをした。高津の言葉を肯定するために頷いてみせる。 「そうです。初めまして。今日は名刺を持ってきていませんが」 「そりゃあそうよね」 玉乃女史はおかしくてたまらないというような笑みを見せた。 「記者さんにしては若そうだけど?」 「見学者に紛れ込もうと思って。得意なんです」 「羨ましいわねえ。初めまして。玉乃って呼んでね」 彼女はにこにこしながら、綺麗にマニキュアを塗られた手を差し出してきた。ふわり、といい香りが漂う。梨花はできるだけ大人っぽく見せるように気を付けて――女性を騙すのは至難の業だ――その手を握った。握手だなんて珍しい。酔うと握手をしたがる友達が一人いるが、彼女と飲んだ時以外で握手をしたときなんて、これまでの人生でもあまりなかったような気がする。 「飯田梨花です。どこの記者かは言えませんが」 「まあそうよね。何の取材でいらしたの?」 「”怪盗”を追いかけているそうです」 と高津が口を出した。玉乃女史が意外そうな顔をする。 「へえ、彼をね。大変そうね」 「ええ、とっても」 ドキドキしながら頷く、と、玉乃は梨花が息を吐いた一瞬を狙うようにして切り込んだ。 「まだどの新聞にも、雑誌にも、彼の記事は出てなかったような気がするけれど?」 息を飲みかけるのを何とか抑えなければならなかった。 「――不完全な情報を載せるわけにはいきませんから」 「ふうん。硬派なのねえ」 玉乃は梨花の手を取って、ゆっくりと階段の方へ誘(いざな)った。本当に自然な動きで、逆らうことなんて思いも寄らない。彼女は梨花と同じくらいの身長で、細身で、全く強そうには見えない。けれど高津よりよっぽど手強い。梨花は階段の方へつれて行かれながら、ゆっくりと、玉乃に気取られぬように呼吸を整えた。玉乃がこちらに人なつっこい視線を投げる。 「あのね、飯田さん……梨花さんって呼んでも?」 「どうぞ」 頷くと玉乃はにっこりした。梨花も微笑みを返した。この人はやっぱり西洋風の習慣の持ち主なのかな、と梨花は思った。どうみても日本人の外見だけど、外国育ちってことはあるかもしれない。 玉乃と一緒に階段を下り始める。高津は玉乃との間に梨花を挟むようにしてついてきている。この玉乃という人の和やかな笑顔の裏に潜むものを何とか探り出したいと思ったが、彼女の物腰は完璧だった。 「下まで高津がお送りするわ。申し訳ないけれど、マスメディアの方の見学は、事務所の許可を得ていただくことにしているの。この研究所では日本中の天文観測所から送られてくる様々なデータを統括・処理して、太陽風が地球に与える影響や、宇宙塵の濃度、種類、天文状況と流星の関係――といった様々な研究が行われているのだけどね」 「はい」 「記者さんならご存じでしょ? 最近火星と木星の間にある小惑星群の活動が活発化しているって」 「ええ」 梨花は頷いた。そのニュースなら知っている。昨日、帰り間際に流歌と会う直前の授業で、先生が雑談に交えて話していた。居眠りしていなくて本当に良かった。 「実は火星と木星の間にあるものだけじゃないのよ。数日前から地球に降り注いでいる流星が――数だけじゃなく動きまで含めて、非常に不規則になっているの。原因は不明。不思議でしょう? で、私たちもその観測データの処理に追われていて、ここ数日少し――張りつめていてね。高津が何か失礼なことをしたのじゃないといいけれど」 ちらり、と高津に視線をやる。別に睨んだわけではないのに、高津は目に見えて恐縮した。玉乃はすぐに梨花に視線を戻して、微笑む。 「でもね、あなたのやり方もちょっとフェアじゃなかったと思うわ。そうでしょう? 怪盗を追いかけているという事情はわかるけれど、見学者に紛れ込んで忍び込むんだもの。ね?」 「そうですね。申し訳ありませんでした」 梨花が頭を下げると、玉乃はぱっと花の開いたような笑顔を見せた。 「わかってくださって嬉しいわ。高津の失礼はそれでチャラということにしてくださる?」 「ええ」 「よかったわ」 にこにこと笑顔を振りまく玉乃の顔を見ていると、本当に、ここには記者が興味を持つようなものは何もないといった気分になってくる。この人は本当に手強い、と梨花は思った。
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