星降る鍵を探して
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2003年06月07日(土) 星降る鍵を探して2-1-4

   *

 さて、新名兄弟である。
 二人は、ここに入ったときとは見た目が全く変わっていた。
 何でもないTシャツとジーンズにスニーカーという格好だった二人は、今は黒ずくめの服を着ていた。兄から渡されたマイクとスピーカーの他にもう一つ、オペレーターが使うようなマイク・イヤホンが一体となった、小型の通信機を装備している。服と通信機はここに上がってくるまでに出会った二人の不運な見張りを倒して奪ったものだった。ここに来るまでに二人が倒した見張りは、入り口のも含めて三人に上っている。
 卓はすっかり諦めていた。もはやこれが「下見」だなどと、どう転んでも言えないようなものなのだということはよくわかっていた。いや兄は未だに「下見」だと言い張るのだが、ここで日本語の用法の食い違いについて論じあっていても仕方がない。かくしてすっかり敵方そっくりの服装をした二人は、敵に全く気づかれぬままに前進を続けている。
 と――
 またしても、前方からひとつの足音が聞こえてきた。規則正しい足音だった。先に行っていた兄が壁に身を隠し、卓もそれに倣った。敵から奪った通信機に意識を集中する。先ほどからこの通信機は全くの沈黙を続けており、敵の情報はほとんどと言っていいほど得られていない。
 兄が身振りで『行け』と言い、卓は頷いた。もうここまで来てしまった以上、ぐずぐず言っても仕方がない。毒をくらわば皿までだ。さらば俺の平和な日々。願わくば再び、あの輝かしい太陽の下へ戻らんことを。
『音を立てるなよ』
 兄の言葉にうなずきを返し、卓は息を整える。かつかつという足音はもうすぐ側にまで近づいてきている――
 と、足音が止まった。
「はい、こちら山田」
 はっきりした男の声がすぐ側で聞こえ、卓は息を詰めた。どうやら、誰かから連絡が入ったらしい。どうして卓の持つ敵方のイヤホンにはあの連絡が入らないのだろう。ふとした疑問が湧いたが、男がえ、と声を上げたのでその疑問はすぐに忘れてしまった。
「そうなんですか? 入り口の――はい。了解。すぐ見てきます」
 山田さんというらしい男の声がそう言って、足音が再開された。先ほどよりもかなり早い速度でこちらに向かってくる。卓は息を整えた。山田さんが角から姿を見せるまで、あとほんの数秒。いつでも行動に移れるように、全身から力を抜き、息を全て吐く。
「どうなってるんだ」
 独り言がほんの間近で聞こえる。卓は息を吸った。タイミングを計って、たわめた全身をバネにして隠れ場所から飛び出し、視界一杯に山田さんらしき男の黒い影が広がり――
「――ぐっ!」
 くぐもったうめき声。卓の放った拳は正確に山田さんの鳩尾の急所をとらえていた。ああ、師範――卓はくずおれた山田さんの体を音を立てぬように支えながら、卓に空手を教えてくれた白髪頭の師範に向けて懺悔した。ごめんなさい師範。俺はもう貴方に顔向けの出来ない体になってしまいました。
「大したもんだ。誉めてつかわそう」
「そりゃ……どうも」
 兄のおどけた賞賛の言葉にため息混じりで答え、男の体を横たえる。今二人が着ているものと同じ、黒ずくめの服装。銃に、通信機と言った装備は今まで倒した三人と同じだったが、この男はその他に、腰にポーチをひとつつけていた。中を開けると何かのプラグやレンチ、ドライバー、ペンチ、色とりどりのコード類がぎっしり入っている。
「工作員だな。受け持ちの箇所は終わったのか――ん?」
 ポーチの中を探っていた兄が声を上げ、中から一枚の紙切れを取りだした。広げるのを横から覗き込むと、それはどうやらこのタワー内の見取り図のようだった。何箇所かに赤い印が付けられている。今二人がいる場所のすぐ近くにも印がある。兄は男のポーチを外し、自分の腰に付けると、こちらを見下ろしてニヤリとした。
「下見に来た甲斐があったな」
 まだ言い張るか、この兄は。
 卓は男の体を縛り上げて物陰に隠しながら、その自分の手際にため息をついた。縛るのは既に三人目。兄の指導のおかげでだいぶ手際が良くなってしまった。ああ、人を縛るなんてことだけ上手くなってどうするんだ。人間としてそれはどうだ。
 卓が嘆いている間にも兄は行動を開始していた。印のついた箇所を探して先に進んでいる。兄の動きは素早いのにとても気配が希薄で、さらには音を全く立てないので、男を隠すために兄から目を離しているだけで兄がどこかに消えてしまったような気分になる。まあ、あの兄が選んだ職業が「探偵」というものでよかったよな――と卓は何とか前向きに考えようとしていた。あの身のこなしで暗殺業でも営まれた日には、日本の未来はどうなる。
 これが「探偵」のすることだろうか、というそこはことない疑問が湧かないでもなかったが、それについてはこの事件が片づいてからゆっくり考えることにしよう。卓は山田さんに内心で謝罪してから、兄の後を追った。最後に男の通信機を奪ってポケットに入れることは忘れなかった。半ば無意識に行った行動だったのだが、後でその無意識の行動が自分を大変な事態に陥れることになろうとは、まだ想像だにしていなかった。


相沢秋乃 目次前頁次頁【天上捜索】
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