星降る鍵を探して
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2003年06月05日(木) |
星降る鍵を探して2-1-2 |
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「……っ!」 がばっ! と身を起こすと小さな影が驚いたように飛び退いた。剛は上げかけていた声をすんでの所で飲み込んだ。びっしょりと汗をかいていた。悪夢だった、と彼は思った。具体的にどんな夢だったかはすぐにわからなくなってしまったが、須藤流歌が居たような……気がした。 どくどく、どくどく。 全力疾走をしてもほとんど乱れることのない彼の鋼の心臓は、今は何故か、ひどく。 ――大丈夫? 小さな声が聞こえた気がして顔を上げると、マイキという小さな少女が傍らにしゃがみ込んで、覗き込んできたところだった。見ると毛布が床に落ちていた。どうやらこれをかけようと近づいてきた気配を感じて、自分は飛び起きたものらしい―― (飛び起きた?) 「寝てたのか……?」 呟くと、マイキがこくりと頷いた。剛は右手で目を覆った。眠っていたというのか。信じられない。須藤流歌が危険にさらされているというのに、俺は―― 窓の外を見ると夕日の残照が赤くわずかに残る他は、夕闇に包まれ始めている。マイキの驚くほどに整った綺麗な顔立ちも、薄闇に沈みかけている。 剛は辺りを見回した。 先ほどいたリビングほどではなかったが、なかなか広い部屋である。扉のある側の壁には彼が寝ていたベッド、窓のある側の壁には勉強机と椅子、クローゼットらしき扉のある側の壁は、扉以外は全て本棚になっている。持ち物を見るとどうやら新名卓の部屋らしい。 周囲を把握すると同時に、眠る前の記憶も甦ってきた。 そうだ――少し休め、と言われたのだ。卓の兄の、克という男に。冗談じゃない、と思った。居ても立っても居られなかった。マイキのあのすこぶる美味いケーキのおかげでエネルギーも補給したことだし、剛は一刻も早く流歌の救出に向かいたかった。けれど。 『昨日寝てないんだろう。体調を万全にしておけよ。どうせ夜にならなきゃ動けない。俺たちが帰るまで待っておけ』 冷静に克に諭された。どこへ行くのかと聞いたら、怪盗を呼び出した奴らがどの程度の覚悟で怪盗に立ち向かおうとしているのかを探るために下見に行って来る、と言われた。克がそう言ってひどく楽しそうに笑って、卓と圭太が何故か微妙な顔をしたのが、記憶の片隅に残っている。 しかし、剛は激昂した。今更下見など。そんな悠長なことを言ってる場合か。こうしている間にも流歌は危険にさらされているに違いなく、剛から見れば流歌はか弱い。体力がない。戦闘能力はあるが、あの細く華奢な体は触れただけで折れてしまいそうで、彼女がさらわれてどんな目に遭っているか、どんなに心細く思っているかと思うだけで―― それで、自分は、何と言ったのだったか。 そうだ。ならば俺だけでも先に行くと言ってきびすを返して。 その背後で『卓』と克が何か促すような口調で言って。 『……わかったよ』と卓が何か諦めたような口調で言って。 その後は。 その後は……? 「寝ていたというのか」 剛は重いため息をついた。自分が許せなかった。卓がおそらく自分を気絶させ、昨夜からの睡眠不足でそのまま眠ってしまったのだろうと、想像はついたが許せなかった。 「新名兄弟は帰ってきたか」 訊ねたが、マイキは答えなかった。顔を上げると、彼女は首を振っていた。思えば彼女が発した声を、剛はまだ聞いたことがない。この子の声は一体どんな声だろう、と反射的に疑問が湧いて、想像してみようとしたが、脳に浮かんだのは須藤流歌の流れるような綺麗な声だった。 彼女はいつも剛のことを「清水さん」と呼ぶ。 もう一度あの声で、呼ばれることはあるのだろうか。 「くそ……っ! 俺は行くぞ。もう待てん」 言って、がばりと立ち上がる。悔しいが、数時間の熟睡で体力はすっかり元に戻っていた。ビックリしたようにマイキが彼を押しとどめようとしたが、剛にとってマイキの制止などないに等しかった。しかしいつものごとく乱暴に振り払っては彼女に怪我をさせるかも知れない、とためらった隙にマイキが首を振りながら両手で押さえつけようとする。仕方なく剛はマイキの体を抱え上げた。軽い。須藤流歌も剛にとっては猫の仔かと思うほどに軽いのだが、マイキはさらに軽くて、まるで体重を感じなかった。 「……! ……!」 相変わらず言葉を発しないまま、マイキがぺたぺたと剛の肩を叩く。全く意に介さず剛はマイキを抱えたまま卓の部屋を出た。リビングも薄暗く、そのソファに、圭太が寝そべっていた。思わずぎくりとして見つめたが、圭太はソファの背もたれの方に顔を向けて、どうやら熟睡しているようだ。 ――あやつも昨晩、寝てなかったのか。 剛はしばし、その背中を見つめた。 ――心配、してたのか。 本当に? 須藤流歌がさらわれたと告げたとき、圭太は平然としたものだった。奴らからの電話がかかってきたときも、平静そのものだった。思えばこいつが取り乱したところを剛は見たことがなかった。心配ではないのかと苛立った剛に、昨晩、圭太はこう言った。 『流歌なら大丈夫だよ』 何故そう言い切れるのだろう――? 信頼しているのだろうか。 そして。 『よその奴に口を出されるいわれはないね』 先ほど言われた言葉が耳に痛かった。そうだ、俺はよその奴だ。圭太が須藤流歌を怪盗の仕事に引きずり込んで、挙げ句そのせいで彼女がさらわれても、俺には口を出す権利はない。恋人ではないし、それどころか嫌われてさえいる。流歌にとっては剛など「強引な勧誘を繰り返す困ったサークルの主将」でしかなく、もし彼女のことをこんなにも心配していることを流歌が知ったら、滑稽にすら思われるかもしれない。美女と野獣にもほどがある。
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