星降る鍵を探して
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2003年06月04日(水) 星降る鍵を探して2-1-1

 第2章1節 

 芸術館の曲がりくねったタワーの中は、沈みかけた落日の赤い光をなみなみと湛えていた。
 時刻は五時を回ったばかり。全面ガラス張りのタワーの中は西からの光をふんだんに吸収し、入り口に立つ卓の周囲は真っ赤に染まっている。それでもまぶしくはないのは、光を抑える特殊ガラスになっているからなのだろう。タワーは帰宅を始めた社会人や高校生の行き交う雑踏の、ほぼただ中に立っているのに、一歩中に入り込むとまるで別の世界みたいにひっそりと静まり返っていた。
 新名卓は頭上を見上げた。タワーの中に入ったのは初めてだったが、とてもわかりやすい構造になっていた。タワーの中はほぼ空洞になっており、中央には床から天井まで貫くエレベーターが備えられていた。エレベーターはガラス張りなので中の人や構造がよく見える。高所恐怖症の人は辛いだろう。その周りをぐるぐる回りながら、螺旋階段がやはり上まで通っている。タワーの中にあるものはこれだけだった。がらんとした空洞の中を上から下まで貫くガラスのチューブと、螺旋階段。なんだか何かによく似ていると思ったが、思い至ってみるとDNAだった。思わずポン、と手を打った。二重になっていないのが悔やまれる。
 頭上を見上げると、遙か上空に天井が見えた。エレベーターと螺旋階段があの天井を突き抜けて上に続いているところを見ると、あれはたぶん展望台の床なのだろう。
 タワーの中は、前述の通り静まり返っている。
 しかし、卓は、上の方から、人の気配が伝わってくるのを感じていた。外壁を伝うように作られた階段の上の方、この位置からではタワーがくねくねしているために見えないのだが、低い話し声や、なにかかちゃかちゃゴトゴトという、金属音がかすかに聞こえてくる。
 ――いるよ……やっぱり。
 卓がこれからのことを思って重いため息をついたとき、見張りを縛り上げてどこかに隠しに行っていた実の兄が、音もなく隣に戻ってきた。押し殺した声音で、しかし事も無げに訊ねてくる。
「奴ら、何人ぐらいだ?」
「わかるわけないだろ……」
「気配を読めよ」
「無茶言うなよ」
 卓は再びため息をついた。自慢じゃないが卓はちょっと空手が強いだけの一般人なのである。人をあんたたちと一緒にするな、と言いたい。

 新名兄弟は今、怪盗が呼び出されたというこの芸術館のタワーに、下見に来ているところだった。
「下見だ」と兄が言い張るからにはそうなのだろうが、本当はもっと他の目的があるのじゃないかと思わずにはいられない卓だった。理由はちゃんとある。ここに入り込む直前の話だ。入り口を見張っている男はまだこちらに気づいていなかったのに、足音も気配も消して男に近づくやあっと言う間に殴り倒し、あっと言う間に縛り上げ、どこかに隠しに行ってすぐ戻ってきた。その間わずか一分。制止しようと卓が思ったときには既に、縛り上げられた男をなす術もなく見下ろしていたと言うわけで。これが「下見」に来た人間のすることだろうか?
 その時兄が言った。
「さあて、下見の開始だ」
 言い張るか。
 舌なめずりしそうな顔を見せ、兄はしゃがみ込んだ。担いできていた重そうなスポーツバッグを開いて、先ほど見張りを縛るのに使ったロープの残りをしまい込む。次いで奥から取り出したのは小さなイヤホンと丸い肌色のシール。そんわけはないと思いながらも、磁気で肩こりを治すアレによく似ている。
 しかし卓は、兄が嬉しそうに取り出したものに注意を奪われているわけには行かなかった。
 ――今、何か見えた。
 下を向いてごそごそしている兄の後頭部越しに、スポーツバッグの中身がちらりと見えたからだ。
 ――黒くてごつごつした、重そうな……
 まさか銃とか言わないよな。と傍らにしゃがみ込んだ兄の頭のつむじに内心だけで語りかけてみたが、つむじが返事をする前に兄が言った。
「顎の下にこれ貼れ」
 差し出したのはあのシールである。卓はもはやこれが何なのかと問いつめる気力もなかった。黙って顎の下に張り付けると、次に差し出されたのはイヤホンだ。
「耳に入れろ」
 言われたとおりにすると、突然、明瞭な兄の声が耳に直接響いてきた。
『すごいだろう、高性能超小型マイクとスピーカーだ』
 思わずギョッとしてのけぞると、しゃがみ込んだままで兄がニヤリとした。
『別行動になっても連絡が取れるようにな。話すときはシールに触れ』
 何でこんなもんを持ってるんだ……という素朴な疑問さえ口にせず、卓は黙って頷いた。訊ねたってまともな答えが返ってくるはずがないことは、厭と言うほど分かっていた。切ない。
 見やるとあれほどの赤い光は徐々に色を変え、寒々とした暗闇が中に満ち始めている。「下見」には絶好の時間帯だよな、と卓は思った。


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