星降る鍵を探して
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2003年06月02日(月) 星降る鍵を探して1-3-3

 梨花は唇をしめらせた。この男を倒すこともできそうになく、攻撃を避けることもできそうにないのだから、何とか丸め込んで逃げるしかない。
 ゆっくり後ろに下がりながら、言い訳を絞り出す。
「あのう、今日はね、見学に来たんです。ほら、こんなに高いビルってこの辺じゃ珍しいでしょう? これくらいのビルだったら、やっぱり一番上に昇ってみたくなるでしょう? それでエレベーターで上がってきたの、でも窓も何もないし、サイレンが鳴って慌てちゃって、それで」
「ふうん?」
 男はニヤリと笑った。
 そして、ゆっくりとした動きでこちらに歩み寄ってきた。
 スーツの内側から出した右手には何も握られていなかった。でもそのごつごつした大きな手がこちらに伸ばされるのを見て、梨花は反射的に更に後ろに下がった。握力の強そうな巨大な手だった。あんな手で首でも握られたら、片手で折られてしまいそうだ。
「この階は一般には使われてない。エレベーターは全部二十階止まりだったと思ったが」
 ――え?
 梨花はさらに後ろに下がりながら目を瞬いた。
 どういう意味だ、それは?
「何をしに来た? あの女を助けに来たのか?」
 高津がさらにこちらに近づき、梨花は同じだけ後ろに下がる。その動きを繰り返しながら、梨花はか細くなりそうな呼吸を整えた。
 あの女。流歌のことだろう。この男は流歌を知っている。とすれば一度捕まってみるのも手だ。そうすれば流歌に会える。
 でも流歌が既に逃げ出していた場合は?
 流歌の状況を知りたかった。何とかこの男から、情報を聞き出すことはできないだろうか。
「あの女って、誰のこと」
 出来るだけ声を励まして、平然と響くように訊ねる。高津は薄い唇をつり上げた。
「しらばっくれるつもりか?」
「本当に知らないんだもの。あたしは『見学』に来たの。本当よ」
 見学、というところを意味ありげに言ってみる。すると男は、少し意外そうな顔をした。
「……何の、だ?」
 探るような声音。引っかかった。梨花は悟られないように唾を飲み込んだ。
「言わなくたってわかるでしょう?」
「そりゃあ……」
 男はじろじろと梨花を見た。思い当たる節があるらしい。カマをかけてみただけだったのだが、何とか流歌の仲間ではないと思いこませることに、とりあえずは成功した。……かもしれない。
「見逃してもらえ……ないわよね、きっと」
 出来るだけ大人っぽく響くように気をつけて、梨花は声を落とした。ストライプの入ったキャミソール、ジーンズにスニーカー、上に白いシャツを羽織ったという今の格好ではなかなか難しいかも知れないが、梨花はその気になれば遙かに年上らしく見せる術を心得ていた。
「お前は何者だ?」
 高津が先ほどよりは少し警戒を解いた口調で訊ねてくる。何にしようかな。梨花は一瞬考えてから、抑えた口調で言った。
「……記者」
「どこの」
「そこまでは言えないけど」
 ふん、と男が鼻を鳴らす。まだ胡散臭そうな顔つきだったが、何とか、流歌の仲間ではなく記者なのだと思わせることに成功したようだった。一応は。
 言葉を出す度に、魂が削られていくような気がする。
 飛び跳ねる心臓をなだめながら、梨花は必死で頭を働かせていた。
 このビルは二十五階もあるのに、二十一階から上は一般的には使われていない――エレベーターも届いていない――らしいこと。
 そして怪盗が狙っているということ。
 さらに流歌を拉致するという非常手段を執ってまで、その研究を守ろうとしていること。
 今わかることはこれだけだ。一体何の研究をしているのか知らないが、あの圭太が狙うのである。人には大っぴらに言えない研究であるに決まっている。当然彼らはマスコミを警戒しているはずで、見知らぬ女が忍び込んでいたら、記者かも知れないと思ってくれる可能性はあると踏んだのだったが、今のところは上手く行ったようだった。
 さて、自分は記者である。真実を探り出すことに情熱を傾けるあまり、忍び込むという危険な方法をも辞さなかった精力的で無鉄砲な記者だ。その記者が、どう見ても研究者じゃない男に発見された場合、どのような行動を取るだろう?


相沢秋乃 目次前頁次頁【天上捜索】
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