星降る鍵を探して
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2003年05月26日(月) |
星降る鍵を探して1-2-2 |
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「ああ、肩凝っちゃった」 流歌は気絶した高津の落とした鍵を拾い上げると、うーん、と伸びをした。怯えたふりというのはなかなか疲れるものである。演技力に自信はなかったのだが、単純な男で助かった。 高津という男は完全に伸びている。彼は清水ほど頑丈ではなかったようだった。手刀を打って崩れ落ちた直後に不死鳥のように立ち上がられたらどうしようかと思ったが、あのような非常識な生命力は、そうそう多くの人が持っているわけではなさそうだ。 「さあて、と」 意味もなく呟いて、とりあえず、鉄格子の鍵を開ける。きい、と軽い音を立てて扉が開いた。白目をむいた高津はぴくりとも動かない。倒れた高津に近づいて、ドキドキしながら体を探る。ハンカチ。いらない。お財布。いらない。携帯電話。そう、これが欲しかったのだ。流歌は折り畳み式の小さな携帯電話を拾い上げて、ポケットに入れた。市販のものではないようで、ボタンが普通よりやや多めについていたが、電話が出来れば充分だ。 高津が全く動かないのに勇気づけられて、上着のボタンを外してみた。ワイシャツの胸ポケットにネームプレートを発見。ちょっと厚みがあって、光にかざすときらきらと七色の光が踊った。もしかしたらテレビでよく見るような、セキュリティ解除とかできるかもしれないから、一応もらっておこう。おや、銃を持っている。どうしようかな。しばし悩んだが、もらっておくことにした。使うことはないだろうし、使い方も知らないのだが、この男に持たせたままでいるのは怖い。 立ち上がって、わずかな間だけ考える。ここに連れてこられたときにボディチェックとやらをされてしまって、流歌は今衣服以外は何も身につけていなかった。上着も取られてしまったから、Tシャツ一枚というはなはだ心許ない格好だ。何よりスニーカーを取られてしまったのが堪えた。冷たい床の感触が靴下越しに伝わってくる。しかし高津の靴はあんまりにもぶかぶかだし、こんな格好じゃ外に出たら人に怪しまれてしまうし、そうだ、そういえば、ここがどこだかわからない以上、お金を全然持っていないと言うのは良くないかも知れない。 ごめんなさい。今更だとは思うが一応謝っておいてから、高津の財布を拾い上げた。ずしりと重い。お札も小銭もぎっしり入っている。全部もらうのは気が引けたから、二万円だけもらうことにした。財布を元に戻し、ネームプレートとお札と携帯電話を自分のポケットに入れ、ずしりと重い銃を手にして、流歌は行動を開始した。
充分に気配を窺ってからやはり真っ白な廊下に滑り出る。人の気配が全くなく、ときおり消火器らしいものが置かれているほかは、本当に殺風景な廊下だった。床も壁も真っ白でつるつる滑る。新築の病院を思わせる清潔さだ。床には塵ひとつ、埃ひとつ落ちていない。 「……寒」 身震いをして、辺りを見回す。左手には廊下が延びていて、今し方流歌の出てきたドアと同じようなドアが、一定の間隔を置いてずらりと並んでいる。流歌はその長く伸びた廊下の一番端に立っていた。右手には階段と、トイレがあった。どうやら屋上なのか、下に向かう階段しかない。階段に駆け寄って表示を確かめる――下の踊り場の壁に掲げられた標識には、「25/24」と書かれていた。……25階!? 「高いなあ……」 思わず情けない声が漏れてしまった。こんなに高いのでは、人一人が出られるくらいにちゃんと開く窓があるかどうかがまず疑わしかった。おまけに運良く窓が見つかり、そこから外に出られたとしても、……出てどうしようというのだ。流歌は残念ながら怪盗ではなかった。江戸城のてっぺんから落下して無傷で済むような、非常識な身のこなしは持ち合わせていなかった。いくらあの兄だって、二十五階じゃさすがに無傷じゃ済まないだろうし。……と思うけど。どうだろう。 自分の心臓の音が反響しそうな静けさが、床の冷たさを余計に増幅するようだった。Tシャツからむき出しの二の腕に鳥肌が立っていた。出来るだけその寒さについて考えないようにしようとは思うものの、なかなか上手く行かない。こんなところに立ち止まって思案を巡らせているよりは、少しでも下に降りた方がいいだろう。かじかみそうな足を励ましながら、階段を降り始めると、足の裏がひたひたとかすかな音を立てた。 何階分かの階段は何事もなく通り過ぎた。 時折廊下に顔を出して気配を窺うのだが、二十階に降りるまで人っ子ひとり見かけなかった。どの階にも同じようなドアが並び、同じような白い壁に白い床が向こうに延びている。同じ間隔で並んだ消火器。同じ間隔で並ぶ照明。階段の表示がなかったら、降りても降りても同じところに帰ってくるという悪夢のように感じたかも知れない。 だがその静けさは、二十階でやぶられた。 二十一階から二十階へ向かう階段に足を踏み入れた瞬間、流歌は、今までの生き物が全て死に絶えたような雰囲気に比べ、空気ががらりと変わったのに気づいた。話し声こそしないものの、人が動き回っている気配がする。活気が伝わってくる。冷え切って鳥肌の立っていた二の腕に、かすかに暖かい空気がさざ波のように触れた。 そうっと足音を忍ばせて、二十階の廊下を窺う。 廊下の遙か向こうの方から、白衣を着た人が三人、こちらにやってくるのが見えた。 ――白衣? 「……で」 「…………、」 「……」 話し声は聞こえるが、内容までは聞き取れない。 見つかったらまずい、と思いながらも、何とか彼らの話し声が聞き取れないかと耳を澄ませてしまったのは、ここが一体どこなのかを知りたかったからだ。兄に電話をするにしても、場所がわからなければどうにもならない。ここは二十階という高さだから、階段を使うような酔狂な人間はそうはいないだろう、と思うことにして、流歌は階段にうずくまって目を閉じた。 「…………ず」 「……思え……が、」 「じゃあどういうことだというんだ!」 急に一人が声を荒げた。声からするに男の人で、まだずいぶん向こうにいるのにも関わらず、荒げた声は流歌のところまではっきりと届いた。彼と議論していたらしいあとの二人の声も、つられたようによく聞こえ始める。 「ですから、異常だと――」これは先ほどの人よりは若いらしい男の人。 「なんらかの人為的な力が――」そしてこちらは若々しい女性の声だった。 「はっ、馬鹿馬鹿しい!」 初めに声を荒げた男の声がいっそう大きく響く。同時に足を踏みならす音さえ聞こえ、一体何を怒っているんだろう、と流歌は思う。 「そんなお伽話のような出来事がそう簡単に可能になったら研究者なんていらないんだよ!」 「ですけれど、それしか考えられな――」 「黙りたまえ、宮前くん!」 男は一喝した。彼と議論している二人の内の女性の方は、宮前という名前らしい。 「それから鷺沼くん、君もだ。研究に戻りなさい。俺は忙しい。そんな世迷い言につきあっている暇はないんだよ。人為的にあれを集めている奴がいるって? どうやったらそんなことが出来るって言うんだ、冗談もほどほどにしたまえ!」 男は言い放つと、足音高く再び、こちらに向けて歩き出した。足音からすると、彼らはもうずいぶん近くまで近づいてきている。もし彼らが階段を使うつもりなら、そろそろ逃げ始めないと間に合わない、と流歌が思ったときだった。 ぴるるるるるる。 高い、まぬけな音が響きわたった。
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