星降る鍵を探して
目次前頁次頁

人気投票(連載終了まで受付中)


2003年05月25日(日) 星降る鍵を探して1-2-1

 第2節

 高津勇一郎という男がいる。
 清水剛や新名兄弟ほどではないが、巨大な男だった。
 彼は退屈しきっていた。一日中こんな狭苦しい部屋の中で、怯えて震える女の見張りなんぞしているのは全く彼の性に合わなかった。
 あの怪盗の妹だと言うからどんな女かと楽しみにしていたというのに。
 ただ震えて、怯えてうずくまるだけの様子を見ていると、ごく普通の女性に過ぎなかった。二十二歳の高津とそれほど年齢は変わらないそうだが、少女と言ってもいいような年齢に見える。美人と言ってもいい顔立ちではあったが高津の好みからすればあまりにも細身にすぎた。玉乃姐のような豊満な美女なら見張りがいもあるというものだが、膝を抱えてうずくまったままほとんど身じろぎもしない上、話しかけても怯えたような返事を一言二言返すだけ、あの自信満々な怪盗と同じ血を引いているとはとても思えなかった。これが見張るに値するような存在だろうか。
 この部屋には窓がなかった。部屋の半分は頑丈な鉄格子で仕切られている。須藤流歌という女性は鉄格子の向こう側におり、鍵を持つ高津は出入り口のある側にいる。怪盗が助けに来ることは充分に考えられたが、この鉄格子は特別製で、鍵を使わずに開けることはほぼ不可能だという。これなら別に部屋の中で見張っていなくてもよさそうなものなのに。彼の上司である桜井が彼女に向ける警戒は分不相応だとしか思えなかった。
「腹減ったなあ」
 これは独り言だ。流歌という女性は高津の声にびくりと反応した。色を失った白い顔がちらりと上げられ、泣き出しそうな瞳が見えた。その瞳を見るだけでわけもなく苛立つ。退屈は苛立ちを呼び、ひどく残酷な気分になった。あの怪盗の妹ならば、もう少し覇気を見せればいいのに。
「お前も災難だよなあ?」
 鉄格子で遮られていなければ、まだ少しは楽しめたかも知れないのに。桜井に鉄格子から出すなと厳命されていなければ、開けて遊んでやれるのに。残酷な気分のまま、嘲るような言葉を続ける。
「悪い兄貴を持ったもんだ。最近荒稼ぎをしてる”怪盗”という悪党がまさかあの大学の学生だったとは思わなかったが、学生なら学生らしく構内だけで遊んでてくれれば、お前もこんな目に遭わずにすんだのになあ? ……お前、自分の兄貴が怪盗だって知ってたのか?」
「……」
 流歌はいっそう縮こまった。ここに連れてこられてからずっとこの調子だ。抵抗するそぶりも、逃げだそうとするそぶりも一切見せない。つまらない。
「何とか言えよ、ほら。……言えってんだよ!」
 足を伸ばして鉄格子を蹴りつける。ごわん、と鉄格子が鈍い音を立て、流歌が縮み上がる。殺風景な真っ白い部屋の中、白々と冷たい明かりに照らし出された彼女は、本当に取るに足らないちっぽけな存在に見え――こんなつまらない女のためにここにいなければならないという今の状態が、腹立たしくてたまらなくなった。
 時刻はようやく三時を回ったばかり。少なくとも夜中の十二時になって、怪盗があの鍵を返したと連絡が来るまでは、ここで見張りをしていなければならない。持ってきた雑誌にも飽きてしまった。これからまだ九時間近くも、このいらいらさせられる存在と、ただまぬけに顔をつき合わせていなければならないなんて。彼は自分の腕に自信を持っていた。新入りだからってこんなつまらない仕事に回されるなんてうんざりだった。桜井がどこにいるか知らないが、そっちに連れていってくれさえすれば、自分の腕を発揮する機会はいくらでもあるのに。
「だいたいあの怪盗ってのは一体何なんだ。学生なら学生らしく勉強してりゃいいのに」
 ぶつぶつ呟くと、か細い声が聞こえた。
「お兄ちゃんが」
 かすれた声だ。流歌という名前にふさわしく、澄んだ綺麗な声だったが、こう怯えてかすれていては台無しだ。高津はもう一度鉄格子を蹴りつけた。ごわん、という音に流歌は身をすくめたが、勇気を振り絞ったように息を吸って、続けた。
「お兄ちゃんが……怪盗だって、」
「聞こえねえよ」
 ちゃんと聞こえていたが、わざとらしく嘲るように声をかけてみる。流歌が出来るだけ大きな声を出そうと肩をふるわせて息を吸うのが面白くて、彼は更に鉄格子を蹴った。
「……どうして、」
「聞こえねえってんだよ!」
 流歌は唇をわななかせて、叫ぶように言った。
「お兄ちゃんが怪盗だって、どうしてわかったの!」
 最後まで言い終えて、流歌はしゃくり上げた。ああ、どうしてこいつにはこうもいらいらさせられるんだろう。八つ当たりに近い感情だとわかってはいたが、相手が何もできないちっぽけな存在だと思うと余計に残酷な気分になる。高津は煙草に火をつけた。もっと流歌が近くにいたら、煙を顔に吐きかけてやれるのに。
「ああ、最近までわからなかったよ。いつも妙な扮装をしてたし。ふざけた野郎だ、全く」
「なのに、どうして」
「さあねえ。知らねえな」
 わざとはぐらかすように、からかうように言ってみたが、実際に彼は知らなかった。彼の上司である桜井が、あの「鍵」をまんまと盗まれた後になってから、あの大学に通う須藤圭太という学生がそうだという情報を持ってきたのだ。桜井に聞けばわかるのだろうが、そんなことをこの苛立つ女にわざわざ教えてやることもない。
「あたしはいつ出られるの」
 しゃくりあげそうになるのを何とか堪えようとしているのか、うつむいた肩が震えている。一度話し出したら止まらなくなったのだろうか。高津は鉄格子に顔を近づけて、手を伸ばしても届かない場所に座り込んだ流歌に向けて、煙草の煙を吐き出した。
「お前の兄貴が宝を返せば、お前は無事に帰れるらしいぜ」
 お前は、というところを強調して言うと、流歌が伏せていた顔をわずかに上げた。その顔から更に血の気が失せたのが見えたようで、高津は嗤った。
「お前はな」
「お兄ちゃんは……」
「怪盗なんて輩を野放しにしとくのは社会のためにならないと、思わないか?」
「……」
「助けに来るかも知れないが、この鉄格子は絶対開かない。怪盗はどんな鍵でも針金一本で開けるらしいが、この檻は特別製でね――」
 流歌がこちらの仕草と言葉にいちいち怯えた反応を見せるのが面白くなってきて、高津はズボンのポケットから鉄格子の鍵を出してちらつかせて見せた。
「この鍵でしか開かないように出来てる」
 流歌は絶望的な顔をして鍵を見たが、諦めたように、再び膝を抱えた。沈黙が戻ってくる。高津は残酷な気分がいよいよ高まってくるのを感じた。この鍵で鉄格子を開けてあちらに入って――と彼は野卑な空想を働かせた。桜井からは絶対に開けるなと厳命されていたが、俺の知ったことか。鉄格子に手をかけて立ち上がろうとしたとき、その呼吸をはかったかのようなタイミングで、彼女がきっぱりと顔を上げた。
 濡れたような瞳に見据えられて、思わず動きを止めてしまった。
「……何だよ」
 流歌は立ち上がった。ずっと座っていたためか、弱々しい、よろめくような動きだ。今にも倒れそうな細い体を、思わずそのままの体勢で見守ってしまう。
 その時、彼女の姿が消えた。
 とん、と床を蹴る音が聞こえたのはその直後。気がつくと流歌が目の前に立っていた。至近距離にいきなり出現した彼女の顔は、もう怯えているようには見えない――
「鍵を持ってるなら」
 柔らかな手のひらが、鉄格子に添えた高津の手首を掴む。
「言ってくれれば良かったのに」
「え、」
 呟きかけた言葉を、最後まで言うことは出来なかった。ちゃりん、と鍵が床に落ちる音を聞いたのを最後に、高津の意識は闇に飲まれた。


相沢秋乃 目次前頁次頁【天上捜索】
人気投票(連載終了まで受付中)

My追加