星降る鍵を探して
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2003年05月22日(木) |
星降る鍵を探して1-1-2 |
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須藤圭太は手に新聞紙にくるまれた包みと、紙袋を持っていた。普段着の彼はあの怪盗と本当に同一人物なのだろうかと思えるほどに平和そうな顔をしている。克はデスクにひじをついて、ため息をついた。 「卓なら寝てるよ。そっちの部屋だ。そろそろ起こしてもいいと思うけど」 すると圭太はにっこりと笑った。 「今日はお兄さんに相談があってきたんですよ」 どうでもいいが何故こいつにお兄さんと呼ばれなければならないのだろう、といつもながら思う。しかし克は圭太の後に続いてのっそりと部屋に入ってきた巨体をみとめて、やや目を細めた。彼は克の目から見ても巨体だった。よれよれになった道着を着て、頭を丸刈りに剃った若者だ。後ろからついてきたマイキがほとんど小さな子供に見えるくらいに巨大な男は、その厳つい外見に似合わず憔悴しきった顔をしていた。 憔悴しきった彼に比べ、圭太は非常にさわやかな顔をしているのが印象的だ。ともあれ圭太はその男をやや振り返るようにして、言った。 「紹介します。大学の同級生の清水剛」 「よろしく」 地割れのような声でうめくように呟く。克はこちらこそ、と返して、立ち上がった。なにやら事態は深刻そうだった。デスクを回って部屋の中央に置かれた応接セットの方へいく。ソファを勧めながら観察すると、清水という丸刈りの男の顎にはうっすらと無精ひげが生えていた。目の下に隈が刻まれているところを見ると、どうやら眠っていないらしい。 「マイキ、お茶入れてくれるか?」 訊ねるとマイキは非常に嬉しそうに頷いて、キッチンの方へ向かった。勇んで腕まくりをする。非常に張り切っている。圭太が感心したような顔をした。 「へえ、マイキちゃん、家事をするようになったって梨花ちゃんから聞いたけど、本当だったんですね」 梨花は圭太と違ってよく遊びに来る。そうだ、今度梨花からもっと砂糖を減らすように言ってもらえばどうだろう、と思ったとき、圭太が続けた。 「で、今日はちょっと非常事態がおこりまして」 「非常事態」 克は頷いた。こいつは何しろ怪盗である。非常事態は日常茶飯事と言っていい。しかし彼の連れてきたこの巨体がこうまで憔悴した顔をしているところを見ると、圭太の日常からみてもやや非常な事態なのだろうと予測は出来た。 「簡単に言います。妹がさらわれました」 圭太はあくまでさわやかに言い放った。
克はしばらく黙っていた。圭太は的確に状況を説明していく。 「昨日の夕暮れ、大学の正門前で。銀色の、どこにでもあるありふれた国産車だったそうです。どうやら妹の顔を知っていて、出てくるのを待ちかまえていたようですね。妹が正門から走り出たら中から男が――これも普段着だったようです――近づいて、「すみません」と言った、と。 妹はある男から逃げている最中でしたが」 え、と上げかけた声は無視された。 「逃亡の途中にもかかわらず律儀にも立ち止まりました。我が妹ながら、律儀な性格なんです。誰に似たんだか」 自分で言えば世話はない。圭太は語る内容の深刻さとは裏腹に笑って見せた。 「妹は立ち止まり、なんでしょうか、と答えたそうです。男は一言、「須藤流歌さんですか」と訊ね、妹が頷くと、いきなり銃を取り出して」 ……待て。 「妹にではなく、近くにいた学生に向け、「車に乗りなさい」と言った。頭のいい奴です、妹に銃を向けても無駄だと言うことを知っていたのかも知れません。立ちすくんだ妹を横抱きにして車に乗せ、連れ去った。あっと言う間の出来事で、側には大勢の人間がいたにもかかわらず、誰も何もできなかった。……以上が事件のあらましです」 「……」 克はため息をついた。清水と紹介された丸刈りの男が下を向いて、膝に乗せた拳をわなわなとふるわせているのに気づいてはいたが、今は事態を把握するのが先だ。 「質問が三つ」 「どうぞ」 「妹は誰に追いかけられていたって?」 「こいつに」 圭太は身振りで丸刈り男を示した。 「……何でまた」 「その話はまた後で。二つ目は?」 「妹に銃を向けても無駄だ、というのは」 「その話もまた後で。追々わかります。三つ目は?」 「何でそんなに落ち着いてるんだ」 圭太はまるで「今日の授業は休講でした」とでも言うような平然たる口調、比べて丸刈り男の方は取り乱しそうになる自分を必死で押さえ込んでいるという風情である。話の内容から考えると、清水の反応の方が妥当だ。妹がさらわれたというのに、この兄は何でこうも落ち着いているのだろう。いやそもそもこの男に妹がいたということも驚きだったが、しかし圭太は克がその疑問を口にする前に、言った。 「取り乱してますよ。だからお兄さんに相談に来たんです」 やはり世間話でもしているような、平然たる口調だった。 マイキがお茶を運んできた。紅茶が三つ、ケーキも三つだ。匂いをかぐだけで歯が融けてどろどろと流れ出しそうな甘いケーキを給仕し終わると、早く食べて欲しいというように脇に立ってお盆を抱えて見守っている。その時、丸刈り男が唐突に言った。 「……俺がついていながら」 「まあ仕方ないよ」 圭太はやはり落ち着いている。その落ち着きに刺激されたように、丸刈り男が怒鳴った。 「俺の目の前でだ!」 どん! 叫びと共に足を踏みならす。その振動だけでがしゃん、と机の上の食器が跳ね、マイキが飛び上がった。堪えに堪えたものが思わずほとばしったと言うようなその声はまるで獣の咆吼だった。あまりの大声に隣近所から苦情が来るのではないかと思ったとき、隣室でどしん、という音がした。 ややあって扉が開く。 「……地震?」 扉から弟の卓が寝ぼけた顔を出す。ぐっすり眠っていたところを今の大声で起こされたらしい。卓が起きるのだから大変なものだ、と考えて、克はため息をついた。隣近所どころか、隣町からも苦情が来るかも知れない。 その時だ。 咆吼した後、立ったまま下を向いて衝動に耐えるように震えていた男が、卓の寝ぼけた顔に目を留めた。ややあって、先ほどとは少々色の違ううなり声がその喉から漏れる。 「に……新名卓」 「え、」 「新名卓ー!」 丸刈り男は再び吼えた。と思ったら存外素早い動きでソファをまたぎ越え、卓の顔の出ている扉の方へ突進する。げ、と卓はうめき声を残して扉を閉めようとしたが、丸刈り男の方が早かった。扉に体当たりするようにして開け、仁王立ちになる。叫ぶ。 「会いたかったぞ、新名卓! 助けてくれ! 俺の大事な人が拐(かどわ)かされたのだー!」 「うわーっ!」 げしっ。痛そうな音がした。切羽詰まった卓が無意識に放った蹴りが、丸刈り男の鳩尾にまともに炸裂したらしいのだが、こちらからでは壁と扉と丸刈り男の巨体が邪魔で見えない、が、丸刈り男の巨大な背中が痛そうに身をかがめたので想像は出来た。卓の蹴りをまともに受けた男は身を折って崩れ落ち、ややあって、がばっ! と不死鳥のように身を起こした。 「いい蹴りだ! やはり俺の目に狂いはなかった! どうだ新名卓、今からでも我が『拳道部』に――」 「いきなり何言ってるんですかー!」 あちらでわいわい騒いでいる二人を尻目に、克は紅茶を一口飲んだ。 「……知り合いだったのか」 「ええまあ」 圭太も平然としたものである。克は紅茶の香り立つ湯気を顔に当てながら、呟いた。 「で、あれだな。彼があそこまで憔悴してる理由もわかったってわけだな」 「わかりやすい男でしょう。呆れたことに妹はまだ気づいてませんが。で、話を先に進めますが」 「そうだ、理由をまだ聞いてなかったな」 克は目を細めた。そう、圭太の妹が何故公衆の面前で、しかも名指しで連れていかれたのかの理由を聞いていなかったのだ。 「ええ、それがですね、昨日の晩妹をさらった奴らから家に電」 「落ち着いてください! 首! 首が! ぐっ」 「外してみるがいい、貴様の腕ならこの程度の締めなど簡単だろう!」 どうやらあちらでは新たな展開を迎えたようである。なにやら緊迫しているようで、卓の苦しげなうめき声と丸刈り男の含み笑いが聞こえてくる。どうやら好敵手を見つけて一時の憂慮を頭から吹き飛ばしたようだ、と考えながら克が紅茶を口に含んだ隙に、目の前から圭太が消えていた。続いてあちらでごん、と痛そうな音がする。 「落ち着け、マルガリータ」 「……痛いではないか!」 「勧誘は後にしろ。逃避してる場合じゃないだろう。新名君、悪かったね。ほら来いよ」 ずるずると剛の襟首を掴んで圭太が戻ってくる。細身にもかかわらず、あの巨体を軽々と引きずるところはやはりあの怪盗だった。ソファまで来ると圭太はぽい、と剛を放り出し、ソファに落ち着くと、何事もなかったように、「でね」といった。 「昨日の晩、電話がありまして」 マルガリータって、何だろう。克は思ったが、何も言わなかった。
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