人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年11月08日(金) まっくら森の歌 〜 心は樹海をさ迷い、身体は深海に横たわったまま

淡々としすぎてこれといって楽しい事件がない生活だから、というわけでもないとは思う。

なんか最近、生活全体的にちょっとテンションが低いことには自分でも気付いていた。なんだか、1日のうちの気分高揚時間が極端に少ない。下手すると、「負」の感情が「正」の感情を完全に上回り、鬱傾向が強くなってしまったり。

だから、その精神状態が見事に日記に表れているといえる。『日常茶話』だけ読んでいる人にはちょっとやそっとじゃ気付かれないだろうが(しかも、あちらの更新頻度はここのところ落ち込んでいる)、この『人生事件』を当初から見守ってくれている人には、ここのところ、ちょっと日記が質的・量的に落ち込んでいる印象を与えているとは思う。

別に、仕事で失敗したとか、プライベートで嫌なことがあったとか、そういうことは特にはない。
そりゃ、浮気相手の『本気』を半泣きで断ったり、仕事ではじめて受け持ち地区の町内会の健康教育を受け持ったり、両親学級(妊婦さんとその旦那向け教室)で講師をしたり、友人の神前式と披露宴に出席したり、そういった様々多々ストレスには曝されていた。
けれど、それらは就職した4月から始まっていたことだし、5月病にしてはちと遅すぎるなあ、と思う自分もいたりして、その冷静さがますます自分に違和感を感じる原因であったり。それに、仕事はやめたいと思ったことはない。死を考えたこともない。

まだ、社会的なつながりを保つだけの心の余裕はある。毎日職場に通い、己の仕事を果たし、買い物をして食事を作って食べる。その間、ちゃんと人と話をするし、笑える。ただ、すべてに心から笑っているかというと、正直苦しくも否定してしまうのだが。

日付が飛び飛びになってしまっても、文章書くのが好きだからWeb日記は書いている。内容はともかくとしても、日記顕示欲だけは失われていないようだ。だけど、やはりどこか落ち着かないところがあるのか、更新コメントを間違えてしまったりもしている。
他の人の日記も見に行ったりもしている。人の日記を読んでに悲壮感を憶えたり不信感を持ったり、そんな自分を哀れんでみたり悲しんでみたり。箸が転げただけで笑える年頃に戻りたくなってみたり。

何が悪いとも、何がいいともいえない。原因なんて、これといってなくても落ち込むのが人間なのかもしれない。
そりゃいつもいつも同じテンションを保ってなんかいられない。だけど、今夜彼に会える、と思ってもうんともすんとも言わない心に不信感、というか不安を感じたりして。

だいぶ、感受性が鈍っているみたいだ。『悲しい』だろうことにも、泣けやしない。そういえば、眠りも浅いような気がする。

早くこの森から、抜け出たいのだけれど。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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