人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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2002年10月04日(金) |
家族に祝福されぬ恋人たちに友人たちは |
フミちゃん(仮名)とゼンゾウさん(仮名)は、互いの家族に一緒になることを許されぬ恋人同士。
フミちゃんもゼンゾウさんも結婚していたが、今は連れと死に別れて独身。それぞれのお子さんたちも成長し、結婚し、孫までいる。そして、ふたりとも息子夫婦と同居していて。 そう、フミちゃんとゼンゾウさんは、共に80歳を過ぎた高齢カップル。フミちゃんのほうがゼンゾウさんよりちょっとだけ年上だけれど、ふたりはとっても仲良し。 町内会の集まりの時にはいつも隣同士で座り、寝たきり・閉じこもり防止と称したお散歩には互いの顔を見に行く名目があるという、アツアツぶり。
ということを、フミちゃんとゼンゾウさんをよく知るヒサちゃん(仮名)から、血圧測定のとき、そっと聞いた。確かに、私が数回お呼ばれした某町内の高齢者の集会でも、ふたりはいつも隣同士で座っていた。
だけど、ふたりがどんなに一緒になりたくても、高齢者ふたりでは生活できないし、だからといって高齢人口の高いこの世の中で同じ施設に一緒に入れるとは限らないし、今更どちらかの家族と同居というわけにもいかないし、婚姻関係になったらフミちゃんは戦争未亡人として年金もらっているのにそれを打ち切られてしまうし、と様々な障害があるのだ。 しかも、彼らの家族としては、「微笑ましい」を通り越して、「いい年して恥ずかしい」という感情を持ってしまっている。
町内会老人グループの友人たちは、そんなふたりを温かく見守るやさしい人たち。様々な行事を民生委員さん等と考えながら、ふたりの逢瀬の回数を少しでも増やしてやろうと画策するやり手高齢者ども。
今日も、フミちゃんとゼンゾウさんは、「町内会のお年よりの集まり」という名の元でデートを重ねている。
お互いに高齢でちょっと痴呆気味でも、恋は何年経ってもできるものらしい。
死ぬ間際は、彼らは誰の姿を思い浮かべ、誰の名を呼ぶんだろう?
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