人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年08月30日(金) それはとても、切なくて、やるせなくて

たまに、救いのないケースばかりと対応して、行き詰まりを感じながら、一日を重く終える日がある。どう振り返ってみても、いいことがひとつもなかった日がある。

今は未だ自分の中で消化できていないのでここでは詳しくは書けないが、『同情』してしまうケースにだって、しょっちゅう出会う。

生んだ子3人ともに重い障害があり、身内からその障害は母のせいだと責められてやっきになって誰の手も借りずに子育てして倒れそうな母とか。
ひらがなは読めるけれど漢字になると分からなくて育児書も読めず、「子どもは好きだ」といいながらもネグレクトな母とか。
出会い系サイトで出会った学生同士に子どもができ、妊娠に気付いた時機が遅くておろせなくて、だけど結婚できないからすぐに里子に出す男女や。

私の仕事の中で、『同情』してはいけないケースはたくさんある。だけど、『同情』という感情は、自分の内で自然に湧き上がるものであり、出てくるものは止められない。だからその代わりに、それをどのように放出していくかが問題になるのだと思う。うまくコントロールすることが必要であるのだと思う。

うれしいこともたくさんある。言葉の発達の遅かった子があるときを境に急に話始めたり、首据わりも一人歩きも遅かった子が走れるようになったこととか。「話を聞いてもらえてすっきりした」っていう寝たきりの方の介護者のこととか。
だけど、つらいことも結構多くて。

人生には色々なことがある。他人の人生を垣間見ることは、時にゴシップ的要素もあるが、大抵はつらくて悲しいことが多い。だけど、そのつらさや悲しみを乗り越え、力強く輝いているときもある。生きているということは、つらいことばかりにぶち当たっているのではなく、いいこともあるということなのだから。人には、先生再生能力はあるのだから。

今日は、何かひとつでもうれしいことがありますように。



※「切なくて」と「やるせなくて」は意味がダブってるけど目をつぶってくだされ


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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