人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年07月18日(木) 『こんな風にして終わるもの』

1998年10月に発表された曲でした。

『お願い あの場所だけには 新しい彼女を連れて行かないで
あの場所だけが 証言してくれる あなたが私を愛していたと』

6〜7年ほど前に聞いた曲かと思っていたのに、実は4年くらい前だったようです。4年位前・・・私が短大生だった頃です。その頃にどうして、早朝のラジオ番組なんて聞いてたんでしょう? 私、カセットウォークマンだったのに。寝坊したとき、親に駅まで車で送ってもらうときに聞いていたのかもしれませんな。
名前は伏せますが、情報下さった方々、本当にありがとうございました。中には、わざわざネットで探して教えてくれた方もおりまして、本当に人生捨てたもんじゃないな、と。

上記の歌詞の曲は、小谷美紗子さんという方の、『こんな風にして終わるもの』という歌でした。近所のCDショップに行ったけれど手に入れられなかったので、明日、仕事帰りに大都市に出て探してみるつもりです。

何で、この曲が私の心に響き、ずっと憶えていたのかは分かりません。誰のものかも分からずに、歌詞も、メロディーも鮮明に覚えていて。
でも、『好き』という気持ちは、そんな、理由などつけられないものなのかもしれません。



『こんな風にして終わるもの』

ようやく知ることのできた曲名から、今までの自分の恋を思い出し、少し泣ける思いがしました。高校時代に初めて付き合った人との終わりを、付合うか付合わないかのところで自然消滅した人のことを。
初めてお付き合いした人のことを思うと、今でも胸を締め付けられる。自分から手放した、はじめての恋。別れの理由は、何本もの糸が絡み合ったもので。何より、私の親友とも付合っていたということが最大の理由で。私と彼女は、彼よりもお互いを取った。私はカエがいいと言い、カエは奎佐がいいと言った。
私とカエの仲は今も続行中だが、彼とは音信不通。だけれども、彼を一概に責める気にはならなくて。苦いけれども、あれはあれで、とてもいい思い出になったのだと思う。全身全霊で、それこそあるところまでは盲目的に、泣きながら好きだといった相手。一生忘れられない。

恋の終わる瞬間というのは、意外にあっけないもので。本当に、『さめる』という表現に尽きる。
覚める・冷める・褪める。どの『さめる』もうまく当てはまるもので。

人は、『さめる』ことがある『恋』を、何度でもしてしまう。同じ過ちを繰り返してしまうこともある。
そんな愚かさがあるからこそ、誰かを好きになる行為が楽しめるのかもしれない。学習ばかりしていたら、前に進む勇気を無くし、厭世的な人生になってしまうのかもしれない。

私、一生誰かを好きでいたい。「終わり」があるのなら、「始まり」はあるはずなのだ。私はそれを「必ず」のことであると、信じていたい。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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