一度だけの人生に
ひろ



 幸福論

理想の幸福と言うか、常識と言うか。

安定した職業に就職して、恋人を見つけて、
恋愛して、結婚して、昇進出世して、子供を
作り、マイホームを建てて、食うに困らぬ程
度の生活をしつつ、たまに旅行に行けるくら
いの贅沢を。
そして健康に気をつけ、事故なく過ごし、
子供の成長に目を細め、あるいは将来に
期待しながら育て上げ、安穏の老後を過ごし、
死ぬときは家族に看取られ、畳の上で。

こんな幸福論がいつの間にか、自分の理想と
言うか、そう言うものが幸福なんだといつの
間にか信じて生きて来たもので。
自分だけじゃなく、多くの人もそうだと思う。
結婚したい。結婚出来ない人生なんて
子供が欲しい。子供が出来ない人生なんて
と言う話は、まだ結婚していない人、子供が
いない人から、良く聞く。

結婚して、幸せになれるなら、
人類の大多数は、幸せです。
子供がいるだけで、幸せなら、
やはり人類の過半数は、幸せです。

残念なことは、幸せとか言うものは、
そう言うところには無いと言うことで、
また、そう言うところに無いと言うことを
してみないと分からないと言うことですね。


幸せになりたいと言う気持ちは、
違う言い方をすれば「今がイヤだ」と言う
気持ちで、現状に満足せずにより良いところ
を求めるのが人の最も優れたところなんで
しょうけれど。
無ければ欲しくなり、手に入れば煩わしくな
ったり飽きたりして、手離したくなり、失って
その価値に気付いて後悔して再び追い求めてみ
たり。
その都度、幸せはあっちに行ったりこっちに
行ったりして、留まることは決してない。

つまり、幸せになることは無いと言うこと

自分はもしかしたら、幸せになれるかもって心
から思える、そんな期待を持てたとしたら、
そんな風に思えて、期待出来たこと自体が幸せ
で、それで終わりなんでしょうね。

まさに掴めそうな距離に有ると見えて、
手に入って、収まると消えて見えなくなる。
「無くなっちゃった」と思う。
無くなっちゃったから、また探し始める。
次に見える時は、新たな別のものを発見出来て
掴めそうな時か。
あるいは、実は見えなかっただけで、手の
中にあったものが離れていこうとするときか。

そんなもの。


2017年01月05日(木)
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