一度だけの人生に
ひろ



 恋がすべて

なんとなくで生きてきて、早くも36歳。
だいたい、人生のお先が見えてきたようで、
生きていくのも馬鹿馬鹿しく、何のために生きているのだろう
と思うと、やるせない思いだ。
もはや、就職することも、結婚することも、
子供ができることも、無い。あとはひたすら働いて
自らと周囲の人の生活を支えていくだけの人生に決まってるし、
それが「正しい人生」なのだ。

わかってても、苦しい


子供の成長が楽しみだろう?
と、人は言う。確かに元気に育ってほしいし、
出来るだけ良い、楽な人生を歩んでほしい。
でも、それが俺の生きがいになるだろうか。
別に偉くなってほしいとは思わないし、立派な親になってほしいとも
思わない。どんな人生の選択をしても、人生は苦しいし、つらいことも
たくさんある。
かといって、代わりに選択してあげることもできないし、代わりに
苦しむこともできやしない。
がんばれとしか言えない。何とか応援してあげることしかできない。
その子の人生の楽しみはその子のもので、その子の人生の苦しみも
その子のもの、いずれも俺が代わりに受けることができるものじゃない。
子供の行く末を楽しみにがんばれと人は言う。それが正しい親で、正しい人生

わかってても、苦しい


と思って見返してみると、20代前半の
大学生のころから「人生のお先が見えて気がして、何のために
生きていくのだろうか。やるせない。」などと言っているのだから
結局、同じところで足踏みをしているようで、可笑しいような
悲しいような気持ち。


結局、人生で、本当らしく思えたことは恋だけでした。
何度恋をしても、恋の馬鹿馬鹿しさを痛感するだけだったけど。
人は恋をするために生まれてきたのだと思う。


2016年12月11日(日)
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