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■ コントローラー
TVのチャンネルをコントローラーで変えるときおもった。
世の中の人はコントローラーで わたしはテレビ。 人はそれぞれ、自分の価値観でもってコントローラーを 操作する。 ある人はこれが良いと言いコントローラーを「ピッ」 ある人はそれはダメよと言いコントローラーを「パッ」 わたしは振り回されて自分の意見に どんどん自信がなくなっていく。 ああどうしよう・・・・
人それぞれいろんな価値観や考えがあって 一見どれもよさそうで正しそうで 自分だけが情けなさそうで どうしても振り回されてしまうけれど・・・
なんだかわたしは自分の力では何にも映し出せない テレビのようで悲しくて。
そろそろ他人のコントローラーに すべて過剰反応するのをやめなくては。
考えてみれば、人と考え方がちがうのは あたりまえのことで。。。 わたしがわたしである証拠みたいなもんだ。
だれかがすてきだと言ってくれるふうに生きる だれかの価値観のピントにあわせて生きる。 そうしたらその「だれか」には 賞賛され好きと言われるかもしれないけど その「だれか」がいなくなったら 足のつかない海で溺れるだけになってしまう。
価値観も生き方も幸せも 人によってコントロールされたり もたらされるものではないんだ。
もしすべて他人によってもたらされるとしたら それは単なる「囚われ」にすぎないのかもしれない。
2002年06月11日(火)
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