2016年03月20日(日) |
読売高橋新監督が危ない! |
先般当コラムにて、「セリーグの優勝は独走で読売」と予想した筆者。一度発表した予想を覆すつもりはないが、オープン戦を通じて不安が募るばかり。その第一の要因は、新監督の存在感のなさ。高橋由伸には指揮官としてのオーラがない、クセがなさすぎる、勝負師のいやらしさが滲んでいない。彼の役割は試合前のメンバー表交換と審判団・相手監督との握手、そしてイニングの間に主審に交代選手を申告することぐらい。試合中はというと、選手の動向をうつろな目で眺めるばかり、つまり、試合に“入っていない”。
高橋新監督、公式戦前からスキャンダルで前途多難のスタート
高橋由伸は現役引退からすぐ監督に就任、その直後に、▽元読売・清原和博の覚せい剤事件、▽3投手野球賭博事件、▽高木京の野球賭博事件、▽「声出し総取り(金銭やりとり)」と、相次いで読売巨人軍に関連する不祥事報道が続いた。“栄光の巨人軍は永遠に不滅”どころか、スキャンダルにまみれた。とても野球どころではない。賭博事件で中堅・若手4投手が契約を解除されたものの選手層の厚い読売ゆえ、戦力ダウンは免れてはいる。だが、新米監督の精神的ダメージは相当だろう。
当時の監督(長嶋・原)は雲隠れ
清原覚せい剤事件、4投手野球賭博事件はどちらも高橋由伸が監督になる前のことだから、彼に管理責任はない。当時監督だった長嶋茂雄、原辰徳は沈黙し続け、責任を新監督(=高橋由伸)に押しつけた形だ。加えて、読売の当時の選手会長(昨年の選手会長は村田修一か?長嶋監督時代の選手会長がだれだったか調べていないが)からもコメントは出ていない。
読売新聞及び系列のTV局等は政治家等の不祥事に「説明責任」を強く問うのが常だが、子会社の読売球団の不祥事については、「現場」は免責された形。球団幹部の辞任ですべてが終わったとでもいうつもりだろうか。辞任した読売球団最高顧問のナベツネは、2004年、彼が画策したプロ野球1リーグ構想に反対した(当時)日本プロ野球選手会会長の古田敦也(ヤクルトスワローズ)に対し、「無礼なことをいうな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。」と発言したことを記憶している人も多いと思う。下品極まりない発言をしたナベツネだが、自分の球団の不祥事に対しては、逃げ隠れしたまま、メディアの前に顔を出さない。都合の悪いことのすべては、新監督・高橋由伸に押しつけた形だ。卑怯である。
不祥事すべてを一人背負い込んだ高橋新監督
高橋由伸は、読売球団の不祥事すべてを背負い込んでの監督人生のスタートになった。それゆえ、オープン戦とはいえ、目もうつろになるのも致し方ない。本来、世間の批判にこたえるべき球団幹部は辞任(雲隠れ)、当時の監督・選手会長も沈黙(雲隠れ)。高橋由伸だけが貧乏くじを引いたというわけだから、同情もする。
高橋の指揮官としての資質に不安あり
高橋由伸の存在感のなさは、こうした状況だけにおうものではおそらくない。彼の性格、資質によるのではないか。たとえば、新監督なのだから試合中積極的に選手に声をかけるのもいい。投手交代ならばマウンドに行く、チャンスに代打なら、近くに呼んで耳打ちする…といった具合だ。高橋由伸はベンチで孤立し、選手との意思疎通はコーチに任せているようにも思う。
高橋の「勘違い帝王学」
高橋由伸の「帝王学」は、監督→コーチ→選手というヒエラルキーで形成されているかのようだ。もしそうだとしたら、まちがった認識だ。団体競技にあって、試合中、選手を指揮するのは監督であってコーチではない。たとえばサッカー。監督が前面に出て選手に声をかけ、大きなアクションで選手を鼓舞する。選手はピッチで、そして監督はそのわずか数十センチ外で声とパフォーマンスで敵と戦う。味方に不利な判定には審判に抗議し、相手選手のラフプレーには大声で非難を浴びせる。
さらに心配なのは、監督と選手に絆が形成されていないような気がすること。高橋由伸が前出のとおり、監督→コーチ→選手という関係に固執するあまり、監督という存在が選手から遠く離れてしまったように見える。これはチームが危険水域に達したことを意味する。チームが官僚化すれば勝負には勝てない。勝ち負けの責任を負うのは本来、コーチではなく監督なのだから。
高橋新監督を覆う不安と怯え
高橋由伸は一見すると外見は冷静だが、内心は不安と怯えで固まっているのではないか。監督は冷静でなければならない――とはよくいわれることだが、頭は冷静、心は熱く燃えなければ勝負に勝てない。彼のオーラのなさは、不安と怯えで心が冷え切っていることによるのではないか。不安と怯えの要素とは、読売内部の不祥事の続発の可能性であり、選手の覇気のなさであり、自分の采配への自信のなさ…であろう。
だがしかし、それが監督業のすべてである。それらを乗り越えなければ監督業は務まらない。通常、指揮官候補者には修業期間が用意され、マイナーリーグ等で監督業を学ぶ。ところが読売球団は、不祥事の発覚を予知してのことか、それとも偶然なのかは定かでないが、前出のとおり、選手・高橋由伸を無理やり引退させ、新監督に就任させた。それでも筆者は、高橋由伸が監督になることを当コラムにおいて「プラスになる」と書いた。前監督・原辰徳の采配があまりにも酷かったので、原が変わることで読売は強くなると確信していたからだ。だが、新監督・高橋由伸があまりにも官僚的な存在のように見えるため、不安を覚えた次第。筆者の思い違いならばそれでいい。
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