2015年03月08日(日) |
「サッカー日本代表監督」論――その特異な存在性 |
日本サッカー協会(JFA)の霜田正浩技術委員長(48)は5日、都内のJFKハウスで、W杯ブラジル大会でアルジェリアを16強に導いたバヒド・ハリルホジッチ氏(62)を、次期日本代表監督として12日の理事会に推薦することを明らかにした。
◎最初からハリルホジッチを選ぶべきだった
この決定について筆者は妥当な人選だと感じている。ただし、ザッケローニの後任としてバヒド・ハリルホジッチに直接行き着いたのならば・・・という限定的評価である。なによりも「疑惑」のアギーレを代表監督として契約したJFAの責任がまず問われるべきであるが、そのことは何度も本コラムで書いたことなので、ここでは触れない。
◎世界のサッカー市場の中心は欧州4リーグ
本論の趣旨は、日本代表監督人選に係る日本のスポーツメディア及び代表サポーター等の思い込みを晴らすことにある。アギーレ契約解除の直後、メディアが挙げた次期代表監督には、アーセン・ベンゲル(フランス)、ルイス・フェリペ・スコラーリ(ブラジル)、ホセ・ぺケルマン(アルゼンチン)、ルイス・ファンハール(オランダ)らのいわゆるビッグネームがあった。この予想は極めて実現可能性が低いばかりか、日本代表に対する高すぎる評価の表れで、無茶苦茶であった。換言すれば、日本のメディアの思い上がり、超主観主義であり、日本のスポーツメディアが世界の現実に反し、相対的独自に情報を発信している悲しい表象である。実際に契約に至ったのは前出のとおり、ハリルホジッチだったことが、そのことの証明になる。
世界のサッカーマーケットは欧州の4リーグ(イングランドプレミア、スペイン一部、イタリアセリエA、ドイツブンデスリーガ一部)を中心にまわっている。選手、指導者を問わず目指すところはそこである。欧州4リーグに比して、極東の世界(FIFA)ランキング55位の日本代表監督は魅力が乏しい職場である。
ハリルホジッチの前職アルジェリア代表監督の席はアルジェリアがFIFAランキング18位にあることから、日本代表監督のそれより格上である。経済大国の日本(の代表監督の席)はCM出演料、講演料、サッカー関連本の出版等の余禄が期待できるから、FIFAランキング以上の魅力がないわけではないが、それでもビッグネームが目指すところではない。
◎世界の指導者が目指すのは欧州4リーグのクラブの監督
日本においては、代表監督の職は世界標準に比べて異常に高いのだが、客観的に代表監督の職を見てみると、腕の見せ所といえば4年に1度のW杯だけ。その間に行われる公式試合は大陸大会(日本の場合はアジア杯で既に終了)、地域大会(同じく東アジア杯)くらい。W杯の予行演習としてコンフェデ杯があるが、大陸王者と開催国しか出られない。
親善試合については、日本では騒がれるものの、世界標準ではあくまでも練習試合であって、例外を除いて盛り上がらない。例外というのは因縁試合のことで、たとえばイングランド−アイルランドとか、セルビア−クロアチアといった国際紛争を背景とした試合は異様な盛り上がりがあり、日韓戦もその範疇にある。対戦国間の背景に紛争や歴史的対立等を伴ったものという限定がある。ただし、親善試合(練習試合)に関心を払うのは当事国の国民に限定される。日韓戦を手に汗握って見守る欧州人は絶無である。
一方、欧州リーグは、シーズン中、最低週1回のTV中継が全世界に中継等される。リーグで好成績を残せばUEFAチャンピオンズリーグ(CL)が待っている。どちらもグローバルに熱狂的支持があるし、そこで成功すれば莫大なギャラが約束される。職業として、代表監督か欧州4クラブの監督のどちらを選ぶかといわれれば、議論の余地はない。
◎クラブ監督と代表監督とは異なる職業
代表監督というのはクラブの監督とは異なる職業ともいえる。サッカーにかわりはないものの、監督という職能に限れば、クラブチームと代表チームとでは全く異なるノウハウが求められる。
日本代表監督の人選において成功した事例は、2002年のW杯日韓大会におけるトルシエの起用であった。1998年に日本代表監督に就任したトルシエだが、当時、彼を知る日本人サッカーファンは少数だったと思われる。
JFAはベンゲルに監督就任を打診したが断られ、ベンゲルからトルシエを推薦されたといわれている。この逸話の真偽のほどは不明だが、あっておかしくない話である。なぜならば、トルシエは日本代表監督に就任する前、コートジボワール(1993年〜)、ナイジェリア(1997)、ブルキナファソ(1997〜)、南アフリカ(1998)の代表監督を歴任し、「白い魔術師」という異名をとっていた。つまり、トルシエの代表監督としての手腕は、アフリカにおいてそれ相応の評価を得ていたからである。
トルシエに近い存在として、ポール・ル・グエン(フランス)、フォルカー・フィンケ(ドイツ)、ブルーノ・メツ(フランス)らの指導者の名が思い浮かぶ。彼らと同等のカテゴリーに属する人材は、豊富とはいわないが一定程度のストックがある。つまり、代表監督人選については、焦る必要はないということである。
焦った結果の日本の失敗事例は、ジーコ及びザッケローニである。この2人に共通するのは、代表監督としての経験がないこと。彼らはクラブチームのように代表チームを愛し、自分の好みの選手に固執した。このような傾向は、代表監督にあってはならない。この2人は日本における特殊な代表監督としての名声を利用して自身の蓄財に成功したものの、残念ながら肝心のW杯の成績のほうは惨憺たるものだった。
ではアギーレはどうなのだろうか。「疑惑」によってすでに契約を解除した者であるから、いわゆる死んだ子の年を数えるに等しいのだが、「疑惑」がなくとも、アギーレは「トルシエ」になれなかったような気がする。というのは、日本代表監督就任後の代表選手選考やアジア杯における選手起用等を見る限り、代表監督としてのノウハウに疑問が残ったからである。
◎日本代表監督の特異性――日本代表マーケティング
日本代表監督という職はグローバルな視点から見れば、極めて特異な存在である。日本には「日本代表マーケッティング」があり、JFAと大手広告代理店が共同で莫大な代表マネーを生み出している。代表選手及び代表監督のCM起用はスポーツ用品に限定されずあらゆる業種に及んでいるし、代表試合に係る公式スポンサーとTV中継は不可分の関係にある。「日本代表マーケティング」はスポーツを越えたビジネスとして、日本では大きな位置を占める。そのことが、代表選手の選考、起用に大きな影響を与える。
「日本代表」の付加価値を構成する要素はいくつかある。「海外組」という代表選手の特殊存在性があり、「外国人監督」という存在も重要な要素の一つとなっている。これらは日本の消費者の海外ブランド信仰及びグローバル(国際化)志向と通底している。
◎CMタレントとしての日本代表選手
「海外組」の初代はカズ(三浦知良)で、彼は10代でブラジルのクラブとプロ契約をした。カズは日本代表選手のなかでトップスターの地位を長年保持したが、W杯出場に失敗し、その座をヒデ(中田英寿)に譲った。ヒデ引退後の今日、本田圭佑が続いている。
ヒデはイタリア語を話し、外国人(とりわけ欧米人)と対等にわたりあう最初の国際派スポーツマンである。本田もヒデがつくった「日本代表」の像を忠実に追っている。彼らは今日の日本人が拭いきれない欧米人コンプレックスを吹き飛ばしてくれる国際人で、憧憬の的である。そして、彼らは間違いなく、CMタレントとして貴重な存在なのである。
代表キャプテンの長谷部誠はヒデ、本田とはポジショニングを異にしたキャラクターである。彼は世界を舞台に活躍する謹厳なビジネスマン風なイメージを漂わせる。代表キャプテンというリーダーシップを象徴する地位も重要である。スポーツ選手は、タレント(芸能人)が虚構的存在なのに反し、掛け値なしの本物なのである。その結果、日本代表監督が自己の信ずる選手選考及び選手起用を行うことはかなり困難となる。
◎舶来ブランド信仰の範疇にある代表監督
さて、いささか横道にそれたが、外国人代表監督も「日本代表マーケティング」に重要な存在である。日本サッカーは欧米、中南米に比べればはるかに歴史が短い。世界のサッカー界から見れば後発組、ちょうどアフリカ勢と同じレベルにある。だから、日本人指導者のレベルは、選手以上に低い。代表監督に外国人を招聘するのは仕方がない面もある。
と同時に、外国人監督に率いられた日本代表というのは、“国際化された”という意味において、付加価値が高まる。海外有名ブランド信仰、外国人知識人を必要以上にありがたがる日本人の風潮からすれば、日本代表監督は外国人でなければならない。最近の話題は、トマ・ピケティの経済本が異常に売れたことがその事例である。
◎「日本代表ビジネスモデル」が終わるとき
日本のプロサッカー界は、日本代表に限らず曲がり角にある。急成長を遂げた20世紀末から2014年までの一つのサイクルが終わり、新たな局面に到達した。サイクルとしてはリセッションに近い。その表れが2015年のACLにおける日本のクラブの惨状である。クラブレベルで日本がアジアで負け続けている現状は、遅かれ早かれ代表戦に投影される。そのとき、日本の代表マーケティング、代表ビジネスは崩壊する。
「日本代表ビジネスモデル」がマネーを生まなくなれば、資本はサッカーから撤退する。そうなれば、日本のプロサッカーは消滅の危機に瀕する。消滅しなくとも、リーグを構成するクラブ数は減り、メディアも取り上げず、日本代表がW杯出場を逃せば、親善試合もできなくなる。日本サッカーは完全に世界から忘れ去られる。そんな事態を回避するために、JFA幹部は自己を厳しく律しつつ、適正な舵取りが求められる。ところが現実には、成功のぬるま湯に浸りきっているように筆者には見える。
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