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2010年07月05日(月) 西村主審批判

スポニチアネックス(7月4日 11時54分配信)によると、ドイツに1−2で負けたブラジルのドゥンガ代表監督は、「審判がすぐプレーを止めるのでリズムを乱された」と不満を示したという。このドゥンガのコメントは、W杯準々決勝オランダ―ブラジル戦直後の当該コラム「南米の2強、ベスト4に進めず」の中に記した“神経質な笛――ブラジル、ベスト4に進めず”に記した筆者の思いと一致している。ドゥンガの苦言は、負けた監督の常套手段としての審判批判ではないように思える。

筆者は、勝ったオランダよりも負けたブラジルのほうが、実力は上だと確信しているし、準々決勝を西村氏以外の主審――たとえば、ドイツ―アルゼンチン戦を裁いたイルマトフ氏が務めたとしたら、ブラジルが楽勝したのではないかとさえ思っている。

同試合の審判団は、西村雄一主審、相楽亨副審、韓国の鄭解相副審。彼らは既に1次リーグ3試合を担当しており、1大会4試合を裁くのは日本人審判員としてはW杯初の快挙となったわけで、西村主審への期待は高かった。試合後の西村主審のレフェリングについては、勝敗を分けるような誤審がなく、後半28分にブラジルのMFフェリペ・メロが相手MFロッベンを踏みつけた場面でレッドカードを提示、この反則を見逃さなかったことが高く評価されたと伝えられた。しかし、西村主審を絶賛したのはどうやらオランダ、ドイツといった欧州のマスコミだけのようで、客観的に高評価を得ているかどうかは確認できていない。

日本のサッカージャーナリズムは、西村主審に対して、“状況次第では準決勝や決勝を任される可能性もある”と報じているようだが、そうだろうか。明らかな誤審がないこと、暴力行為を見逃さなかったこと、は当たり前の仕事であって、それよりも、戦っている選手の力を最大限発揮させ、観客が楽しめるレフェリングを行うことが、主審の最低限の仕事だと思うのだ。

フェリペ・メロの“踏みつけ”は反則だが、彼がそのような行為に及んだ基底には、試合を寸断する神経質な笛があり、それは主審が選手を規制・管理しようとするように受け止められたはずだ。そういう西村主審の姿勢に対する苛立ちは、おそらく、ゲームに参加した選手・監督・スタッフ・サポーター・TVを含めた観戦者のすべてが抱いたものだったはずだ。少なくとも、筆者はそうだった。規制・管理に対しては、オランダのほうがブラジルよりも我慢強い。

サッカーは、ゲーム参加者の手を奪うという過酷な禁制を課す一方、それ以外は自由を本質とする。極論すれば、手を使わなければ、オフサイド以外の反則はないといってもいい。西村主審は今後、厳正で確信に満ちたレフェリングを目指そうとするよりも、ゲームが自由かつ創造的に流れるレフェリングに努めてもらいたい。

さらにいえば、世界中のサッカーファンは、11人で反撃に出るブラジルの姿を見たかったはずだ。だから、フェリペ・メロには、イエローでも・・・


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