2010年03月03日(水) |
4年後、メダルが少なくてもかまわない。 |
冬季五輪女子フィギュアスケートをめぐって、日韓のウエブ掲示板サイト上において、トラブルが発生したらしい。詳細は、筆者の知るところではないが、悲しい出来事である。
韓国からすれば、3月1日は、日本の植民統治下の朝鮮半島で始まった独立運動(「3.1独立運動」)の記念日。今年は、日本による韓国併合から100年にあたる区切りの年。反日感情が盛り上がって当然である。
フィギュアスケートは採点競技で、しかも採点基準がわかりにくい。審査員の主観性を排除できない等の難点があり、五輪競技としては不適正であること、五輪が国家主義(排外主義)を醸成することがあってはならないことは、前日、前々日に書いたとおり。
しかし、日本のマスコミ、一部のスポーツコメンテーターらが、国民の関心の高い女子フィギュアスケートに焦点を当てて、「日韓対決」を煽動したのである。日本の一部ファンは、金メダルを取った韓国女子選手を誹謗中傷したのだろうか。
そんな「五輪国家主義」が一部で台頭している中、バンクーバーから帰国した五輪選手団長が記者会見を開き、「メダルが少ないのは、国の支援(予算)が足りないから・・・」というような大会総括(発言)をしていた。今回の選手団長が、団長として資質を欠くことについては、これも何度も当該コラムにて指摘したとおり。
五輪でメダルを獲得するためだけの強化費に血税を使うなど、もってのほか。国家はスポーツ、文化に干渉しないでほしいものだ。五輪でメダルをとることがいかに大変なことかはよくわかる。しかし、職がなくて何度も企業に足を運ぶ生活者の苦労は、それと比較にならない。人々の生活が安定し、国民一人ひとりが余暇にスポーツを楽しめるような生活環境をまずもって整えるのが政治家・官僚の第一義の仕事である。生活者の暮らしや、高い失業率には目もくれず、「自分たちに税金をください、そうすればメダルをとります」とは、最悪の心構えである。
五輪メダル獲得のためのスポーツ選手を国家が育成するというのは、かつて、旧社会主義国家が行った、「ステートアマ制度」を思い出して気色悪い。「ステートアマ」という非人間的訓練過程において、才能ある選手の多くが精神を病み、薬害に犯された。今日、ドーピングの対象となる薬剤は、旧社会主義国家で開発されたものをルーツとするものも多いという。
スポーツ選手に限らず、専門的文化の担い手を国家権力の管理の下に置くことは、絶対に避けなければいけない。フィギュアスケートを鑑賞することを趣味とする人がいてもいいし、自分でやりたいと思う人がいてもいい。それは国民一人ひとりの趣味嗜好の領域である。そのことは、ボブスレー、スキー、スノボ・・・すべての競技に当てはまるし、スポーツだけでなく、映画、演劇、文学、舞踏、伝統芸能・・・すべての文化活動に当てはまる。
日本の冬季五輪において、金メダル獲得数が、中国、韓国より少なくてどうしていけないのか。それらの国が税金で選手強化を図っているのは、権力者が、国家の政策として、五輪メダルによって、国家権力の誇示、危険な愛国心の醸成、国民の不適正な統合を意図しているからだろう。そういう国家もあるだろうが、日本がそういう国家である必要はまったくない。
4年後、ロシアのリゾート都市で開催される冬季五輪――筆者は税金を使ってまで、そこで多くのメダルを獲得することを望まない。五輪に参加する選手を減らし、五輪に寄生するスポーツ官僚を減ずれば、いくばくかの強化費が捻出できるのではないか。その範囲で強化すればいいのでは・・・と素朴に思うのだが。
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