2009年12月01日(火) |
内藤―亀田は最低レベルの世界戦 |
11月29日に行われた世界ボクシング評議会(WBC)のフライ級タイトルマッチは、亀田興毅選手(23)=亀田=が王者、内藤大助選手(35)=宮田=を破り、新王者になった。
“因縁の対決”“弟の仇を兄が討つ”・・・等々の話題を集めた試合だったけれど、見るべき内容のない、凡戦であった。カウンター狙いの挑戦者に対して、果敢に打ち合いを挑んだ王者という図式だけれど、王者が足を使ってアウトボクシングに徹する能力があったならば、打ち合いのない、お葬式のようなタイトルマッチで終わったであろう。この試合がとりあえずボクシングとしての最低限の要件を満たすことができたのは、仕掛けた側=敗者=前王者・内藤に負っているのであって、新王者=勝者=亀田の「作戦勝ち」にあるのではない。そういう意味で、内藤は、「国民の期待」を最後まで裏切らなかった、というよりも、こういう戦い方しかできなかったのである。
試合後の関係者の共通のコメントは、「これで終わりにしたかった」というものだった。某テレビ局が企画・演出した「亀田ファミリー物語」は醜悪なものだった。妻と離婚した男親に育てられたため、十分な家庭内教育を受けられなかった3人の息子たちとその父親が目指したのがボクシングであって、この一家にボクシングが選択されたことは、ボクシング界にとって、ボクシングというスポーツにとって、不幸であった。ボクシングを行う若者がみな、亀田兄弟のように礼を知らない、敬語も使えない、社会的常識をわきまえないものだと社会に認識されてしまったからである。
その誤解を解くきっかけになったのは、ワイドショーで亀田父と真っ向対決した、漫画家・やくみつる。そして、プロボクサー内藤大助だった。内藤は「いじめられっ子」として幼少期を過ごしながら、ボクシングを始めることによりそれを克服し、さらに貧困から脱し、世界の頂点を極めた。亀田弟との世界戦において、内藤に対する国民的支持は最高潮に達した。内藤は、亀田弟の反則攻撃にもめげず、防衛を果たし国民的英雄となった。その間、彼のキャラクターは好感をもって迎えられ、ボクシングの地位向上に資することになった。
こうしたサイドストーリーを振り返りつつ、内藤―亀田の世界戦をみていると、かつての亀田ファミリーに対する熱気は、ボクシングの普及にも、ボクシングの地位向上にも、一切つながらなかったことを改めて思い知る。テレビ局が視聴率稼ぎに血眼になるあまり、プロスポーツマンが少年少女の鏡となる道筋を無残にも破壊してしまった事実だけが残ってしまったのだ。
繰り返すならば、“因縁の対決”は、世界タイトルマッチのレベルに照らしてみれば、興奮のない退屈な内容であった。この試合で最後にすべきは、スポーツに奇妙な物語をくっつけて付加価値を増し、視聴率を荒稼ぎしようとする、テレビ局の「スポーツ企画」である。プロスポーツは、純粋なスポーツ選手の実力をリアルにみせればよい。スポーツ選手のまわりにいる、配偶者、親、子、兄弟、恋人・・・等の関係者を担ぎ出し、スポーツ選手の成功と失敗の物語を紡ぎだすとき、スポーツとは無縁の醜悪な興行が表立ってくる。日本のプロボクシングに客が集まらないのは、「企画力」が乏しいからではない。スポーツとしてのボクシングのレベルが低いからであって、それでしかない。
さて、「これで終わりにしたかった」はずの両者であったが、”再戦”の話がどちらからともなく、湧き上がっているらしい。物語は、内藤の側からのリベンジであるという。もう、いい加減にしたら、と言いたいのは、筆者だけなのだろうか。
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