2009年11月05日(木) |
監督を代えなければ川崎は無冠のまま |
ナビスコ杯決勝は3日、国立競技場で行われ、FC東京が川崎に2-0で勝利し優勝を飾った。試合結果はともかくとして、表彰式での川崎イレブンの態度に、日本サッカー協会の川淵三郎名誉会長、Jリーグの鬼武健二チェアマンらが激怒する事態が起きた。授与されたばかりの銀メダルをロイヤルボックス内で外す選手が続出し、日本協会名誉総裁の高円宮妃殿下、大会スポンサーらに背を向け、壁に寄りかかる選手もいた。準優勝の悔しさや疲れからか、潔いとは言えない態度だったという。
試合展開としては、川崎優勢の時間帯のほうが長かった。決定的場面はほぼ同数、決定的チャンスを2度決めた東京が勝ち、それを同じ数だけ逃した川崎が負けるのは当然の結果である。審判の笛も適正。川崎の選手が不満をあらわにする理由は試合内容において見つからない。
川崎の怒りや不満は、おそらく自分たち自身に向けられたものだろう。最初の失点は、22分、東京のMF米本の放ったミドルが無回転シュート(テレビ中継のスローVTRで確認済み)で、弾き出すのはそう簡単ではない球筋なのだろうが、パンチングをしたGKの指の先を突き抜けてゴールを揺らした。GKが弾こうとしたポイントから、ボールが微妙に上にずれたのだろうか。だが、川崎の攻撃陣からしてみれば、納得できるGKの守備とは見えなかったのかもしれない。
2点目は59分、川崎が、東京のカウンターにはまった。前がかりになった川崎DFの裏を走り抜けた鈴木が羽生のパスを受けセンタリング、追走した平山が頭で合わせた。川崎はとにかく、焦りすぎである。両チームの選手個々の能力を比較すると、川崎のほうが、主力を故障者で欠く東京を明らかに上回っていた。ところが、代表クラスの外国人選手を前に揃えた川崎からは、組織的崩しが見られない。先制された後、川崎のカウンターを警戒した東京が後ろでパス回しをしている間、前線の選手がボールを奪いに行く姿勢を見せながら、チームとして連動した組織的プレスになっていない。右SBの森が左に移って力を発揮できず、右SBの村上も上がりのタイミングを最後までつかみきれないまま、両SBから得点にからむようなクロスが上がらなかった。2点目を失った後の川崎の攻撃は中央突破に固執し、個人技に頼った強引な攻撃に終始した末、逸機を繰り返した。
東京は、攻撃力において川崎に劣っている。であるから、そういう相手との決勝戦では、攻め勝つのが常識だと思われるかもしれないが、サッカーは思い通りにならない。米本の得点は、川崎からすれば、事故のようなものだと割り切ればよかった。要するに、焦る必要はないのである。この失点によって、選手が焦る以上に、ベンチが焦ったのではないか。川崎の関塚監督は、高い能力をもつ選手をコントロールしきれていないのではないか。川崎にはキャプテンシーをもった選手がいない、という見方もある。ゲームキャプテンの中村憲はピッチ上の選手を精神的に統率するには経験が浅すぎる。
それに反して東京は、先制ゴールを決めた米本が川崎の司令塔中村憲を最後まで忠実にマークし続け、前線の鈴木は献身的な運動量で攻守に貢献し、ワントップの平山も走り続けてDFでも体を張った。得点に絡まなかったが、パスを受ける位置取りで非凡なセンスを見せた梶山の貢献により、東京の攻守のバランスが維持された。得点に絡むパスを生んだ羽生もチームの要として光った。彼らはとにかく、走ってスペースを生み出して、得点機会をつくりだした。東京と川崎の差は、選手の「走力」にあった。献身的な選手が多い東京のようなチームが優勝した意義は大きい。サッカーにおいて最も重要な要素の一つであるディシプリン(規律)に基づいた、優勝だからである。
試合終了後の川崎の不祥事は、このチームが抱えているチームづくりの欠陥を象徴している。ディシプリンの欠如である。筆者が監督ならば、たとえば浦和の鈴木啓太のようなタイプの選手を核にしたチームづくりをする。オシム前代表監督の言葉を借りれば、「水を運ぶ」選手である。
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