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2009年10月28日(水) 「大敗」を回避する訓練必要−ACL準決勝

サッカーのアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)準決勝第2戦・名古屋−アルイティハド(サウジアラビア)が10月28日、名古屋市瑞穂陸上競技場で行われ、3−8で名古屋が敗れ、準決勝で敗退した。もっとも、第2戦の結果を待たずとも、名古屋の決勝進出は絶望的であった。第1戦、名古屋は敵地サウジアラビアで2−6と大敗していたからだ。ACLの準決勝に関するレギュレーションとしては、決勝進出チームは2試合の合計得点で決まり、同点ならアウェーゴール数が多い方が勝ち上がる。すべて並んだ場合は前後半各15分の延長戦を行い、決着しなければPK戦を実施することになっている。

結果論でなく、第1戦で2−6の大差は、名古屋にとって致命傷である。試合開始早々、不可解な判定による退場者が出たことは仕方がない。プロのサッカークラブならば、第1戦で笛を吹いたUAEの主審の傾向を知っていて当然である。まして、敵地サウジアラビアの試合なのだから。

サウジアラビアの「隣国」の主審の笛というのは、東アジアにおける日本の隣国(韓国、中国等)の主審の笛と同じではない。はっきり言えば、中立性を期待することは難しいのである。というのも、中東勢は先のW杯南アフリカ大会予選で出場権を得られず、土俵際で残ったバーレーンがオセアニア(ニュージーランド)とプレーオフ第1戦の試合を終え、ホームでドローという厳しい状態にある。バーレーンがオセアニア(ニュージーランド)に負ければ、中東のいずれの国も南アフリカにいけないことになるのである。

というわけで、当然のことながら中東は、ACLに力が入る。アルイティハド(サウジアラビア)に勝ってもらって、決勝(11月7日・東京・国立競技場)進出を決め、一方の準決勝でウンムサラル(カタール)が浦項(韓国)に勝てば、中東勢がACL優勝をさらうことは絶対確実なものになる(もっとも、ウンムサラルの決勝進出はかなり難しい情況にあるのだが)。いずれにしても、UAEの「援軍」を得て、アルイティハド(サウジアラビア)は名古屋に勝ったのだが、筆者が問題にしたいのは、第1戦で一人少ない名古屋が6点も取られたことだ。

さて、Jリーグ第30節中、異常な対戦スコアの試合が目に付く。川崎(7)―広島(0)の一方的な点差の試合である。この試合の展開を大雑把に辿ると、先制したのは川崎。前半18分、ジュニーニョが決めた。同25分に広島の森脇が2回目の警告で退場。一人少なくなった広島だが、運動量を増やして反撃を試みたが、ゴールは生まれず。逆に、川崎のカウンターの前に失点を重ね、広島は大敗で優勝が遠のいた。

名古屋は敵地サウジアラビアにおいて、退場者を出した後、大量失点をしてACL決勝進出において致命傷を負った。広島はJリーグにおいて、やはり、前半に退場者を出して、大量失点をくらって負けた。どちらも、似たような負け方の試合ではないか。

筆者が驚いたのは、翌朝の某日刊紙が、広島の「大敗」を絶賛したことである。「負けても攻撃」「おもしろいサッカー」「得点への執着」・・・と広島の「大敗」を礼賛する言語が飛び散っているのである。“攻撃こそがサッカー”であると、そして、スタイル重視が、昨シーズンJ2から昇格した広島がJ1上位に上げた要因であると、いうのである。

名古屋のサウジアラビアにおける致命傷と、リーグ終盤の広島の「大敗」を無理やり結びつけようとは思わない。だが、ACLにおける名古屋の稚拙さ、守備の意識のなさ、攻守のバランスを欠いた試合観、ホームとアウエーの差異及び大会レギュレーションの無理解という頭脳的欠陥は、間違いなく、広島の「大敗」を絶賛するような、日本独特のサッカー風土によって培われているのだと思う。

日ごろ、Jリーグの試合で、相手より一人少なくなったような不利な局面の試合をいかにしのぐか、いかに勝ち点1でも上げていくのか――そういった、逆境をしのぐ構想力を磨く訓練が、日本のプロサッカー選手になされていないということに対して、日本のスポーツジャーナリズムは、もっともっと、批判をすべきなのだ。いわんや、その無謀な、無責任な「大敗」を絶賛するようなことがあってはならない。

以前、当コラムで書いたことだけれど、「攻撃サッカー」という“スタイル”を貫くことがチームを強くするという考え方は、絶対にありえない。たとえば、退場者を出して0−1で負けているような局面でも、リスクを負って点を取りに行くことは間違っていない。だが、そればかりを無際限に試行すれば、時間とともに選手の疲労が増して、試合を失う可能性はより高まる。確率的には、攻撃は相手陣内でボールを奪えたときに、一気にスピードに乗ってシュートまで持っていくときに限るか、あるいは、相手ゴールに近いところで得たセットプレーからに限定されるだろう。90分間のどこかの時間帯において、数的優位にある相手選手の集中力が切れるときがあるものだ。それが狙いである。

蛇足で申せば、サッカーとは、攻守のバランスを競うゲームだと言って過言ではない。サッカーに必要なのは華麗な攻撃と堅実な守備の両方である。Jリーグの長いシーズンにおいて、退場者を出してしまったような試合もある。また、国際試合のアウエーならば、その確率は高まるし、コンディションの面で相手に利があることもある。また、格上との試合もあるだろう。そこで、いかに負けないかという戦い方も必要なのである。

なお、偶然かもしれないが、名古屋の監督ストイコビッチは旧ユーゴスラビア/セルヴィア人、広島の監督ペトロビッチも国籍はオーストリアだけれど、やはり、旧ユーゴスラビア/セルヴィア人だ。そして、どちらも、オシム(国籍はオーストリアだが、旧ユーゴスラビア/ボスニア・ヘルツェゴビナ出身)の指導方法の強い影響力を受けている。「大敗」のキーワードは、旧ユーゴスラビアに通じているのか(笑)


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