2009年09月16日(水) |
鹿島−川崎を中止にしたのは主審の判断ミス |
9月12日に雨のため打ち切られた鹿島―川崎F戦。15日のJリーグ理事会は、試合が中断した74分より試合を再開すると決定した。再開試合の条件は、中止時点と同等とし、以下の通りとなった。
○開催日:10月7日(水)、 開催時間:未定、開催場所:県立カシマサッカースタジアム ○再開スコア:鹿島アントラーズ 1-3 川崎フロンターレ ○プレー時間:試合を中止した時点の後半29分(74分01秒)からとし、残り16分+ロスタイムのプレー時間とする。 ○登録および出場選手:9月12日中断時点と同じメンバーとし、新たに補充できない。なお、怪我等により出場が困難な場合は、ベンチ入りした選手から再開試合出場選手を選出する。ただし、怪我人の続出などにより、両チームの出場選手の状況が揃わない場合に限り、選手の補充についてはチェアマンの判断に委ねるものとする。 ○交代人数:中止時点での残りの交代人数を適用し、鹿島残り1名、川崎F残り0名とする。 ○記録:中止時点での以下の記録を適用する。 [得 点]19分川崎F=鄭大世、30分鹿島=マルキーニョス、32分川崎F=鄭大世、66分川崎F= ジュニーニョ [警 告]10分鹿島=ダニーロ、12分鹿島=興梠慎三、27分川崎F=中村憲剛 [退 場]なし
再開の条件としては妥当である。中止してしまったものは取り返しがつかないのであって、事態を収拾するという意味で、妥当なのである。もしも、0−0で再開となったとしたら、川崎側の怒りはおさまらないだろう。
問題は、当日、後半29分に川崎Fが3―1でリードしている場面で、岡田正義主審が「大雨のためピッチコンディションが不良で選手がケガをする」と両クラブの反対にもかかわらず中止を通告したことだ。その結果、中止の判断の是非と試合の扱いをめぐって、日程、運営面等の様々な面において、両クラブを大混乱に陥れてしまった。
このことについては、前回の当コラム「不可解」の第2章で書いたが、改めて筆者の意見をまとめておこう。
サッカーは天候のいかんに関わらず行われるスポーツであり、雨・雪・風が強まればピッチコンディションは当然悪くなるけれど、試合をする側には折り込み済みの事象だ。主審(岡田正義)が12日のカシマスタジアムのピッチコンディションをどのように判断したのか不明だが、まったくもって余計なことをしてくれた、という以外にコメントのしようがない。
第25節という時点で1試合を「中止」にすることによる混乱は、事務的な面で言えば、▽チケットの取扱い、▽Jリーグ、ACLを含めた日程面、▽totoの配当面である。さらには、首位争いをめぐる順位に「暫定」がつく煩わしさを含めて、リーグ終盤の熱戦に水をさす。クラブ、リーグ全体に想像を絶する混乱を与えてしまったのだ。岡田ほどのベテラン審判が、そのことを理解していなかったというのがまず、信じられない。
選手のモチベーションという点においても、計り知れない悪影響を与える。リーグ終盤にさしかかった第25節、首位と2位が勝ち点差7で争っている直接対決、3−1で2位チームが残り15分までリードしている。このような試合展開のもつ重みが、サッカーの主審になぜ、理解できないのか。岡田という審判は、サッカーの試合は何度やっても同じ結果が出るとでも思っているのだろうか。勝ち試合が何度でも再現できるのなら、サッカーというゲームそのものが成り立たない。試合をもう一度やり直すことの困難さというものが、サッカー選手の最も身近にいる主審の職にある者がわかっていないという現実――Jリーグの危機は、ここまできていたのだ。得点してリードをする重さ、勝ちきることの重さ、勝ちゲームの重さ・・・を、主審の職にある者がわかっていなかった。岡田正義という審判の職にある者の試合に対する安易な気持ちが、筆者には我慢ならない。
岡田正義のサッカーのプレーに対するジャッジについては、前の当コラムで書いたとおりだ。彼の誤ったジャッジが、選手の生活を脅かすといって過言でない。今回のジャッジは、個々のプレーに対するものではなく、試合に係るジャッジだ。彼の自己顕示欲は満たされたのかもしれないが、リーグ、クラブ、選手、サポーター・・・に対して、大打撃を与えてしまった。
彼の暴挙を止められなかったのが、「審判は絶対」という日本のスポーツ界に付着した独自の観念なのかどうか、その場に居合わせない外部者にはわからない。ただ、はっきりいえることは、主審に必須とされる判断能力を欠いた者が、Jリーグ審判団に所属し、大事な試合の笛を吹いているという事実だ。審判の資質を見抜けない責任は、Jリーグそのもの(チェアマン)にある。
|