2009年06月08日(月) |
2009年 暗い旅(最終章) |
日本がウズベキスタンに勝って、W杯南アフリカ大会行きを決めた。本題とする「暗い旅」が「明るい旅」に変わったことをもって、本章の幕を引くわけではない。「暗い旅」と命名した根拠は、日本がアジア予選に敗退することを前提としたものでなく、その反対に、日本が予選を突破することを前提として名づけたものだった。
日本がアジア予選を突破することは、最終予選のグループ分けの段階で、ある程度、予想できた。日本より実力で勝るのはオーストラリアだけ。よほどの取りこぼしがない限り、日本が2位以内(というよりも2位)になる確率が高かった。勝負に絶対ということはあり得ないから、それが決定づけられたものではもちろんないものの、バーレーン、カタール、ウズベキスタンが日本より上位にくることは、考えにくかった。
その根拠の1つは、上記3国におけるプロスポーツの歴史の浅さだ。代表チームを取り巻く総合的な面で、上記3国は日本及びオーストラリアに劣る。筆者は、このことを、プロスポーツに係る国家総体の力と認識する。日本サッカーが欧州、中南米に比べて弱いのは、日本という国におけるサッカーに係る総合力において、欧州、中南米に劣るゆえだ。
「総体」という概念をアンバンドリングするならば、サッカーの歴史、国民への浸透度、国民の関心度、批判力等々になる。日本のそれをアジアの上記3国と比較すると、2010年予選時点では、日本の方が上にいる。
プロ野球の場合、WBCにおいて日本が2連覇を達成した。日本プロ野球の歴史の長さ、野球に関する国民の関心と浸透度、理解度、マスコミの取り上げ方・・・において、日本の野球は世界のトップクラスにある。この実力は、きのうきょうの短期間で築き上げられたものではない。野球に取り組む日本人の70年超の歴史の賜物なのだ。こうした諸要素を背景にして、日本はすぐれたプレイヤーを輩出できている。
その結果として、日本式野球=スモールベースボールを確立した。日本の野球は、米国からは「箱庭野球」と揶揄されたが、甲子園式に代表される犠打の多用や投手の連投という非常識が、世界でトップレベルの実力に花開いた。
日本サッカーの歴史は、日本プロ野球に比べれば、圧倒的に短い。かつ、欧州、中南米と比べても同様だ。このような比較の観点にたつならば、日本サッカーは短期間でよくここまで来た、とほめることもできる。
しかし、いま問題なのは、日本のサッカー関係者の無自覚ぶりだ。アジアで5位以内の実力(オーストラリア、韓国、イラン、サウジアラビア)にすぎない「日本代表」を過信してはいけない。謙虚に、一歩一歩、実力を高める努力をしてもらいたい。日本代表の危機に警鐘を鳴らしているサッカー業界人は、管見の限りだが、セルディオ越後氏ただ一人ではないか。
批判精神欠如のスポーツジャーナリズムを同伴した馴れ合いを排し、相互批判と情報開示に基づき、開かれた代表チーム運営に努めてもらいたい。そして、なによりも、日本代表をぬるま湯状態から引き出し、真の意味での国際化に向かってもらいたい。それらを怠れば、日本サッカーがガラパゴス化(世界から隔絶)することは、時間の経過に比例する。
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