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2005年09月27日(火) 恐怖の楽天人事

プロ野球の楽天Gイーグルスが田尾監督のクビを切った。楽天はJリーグ神戸でも同じように、何人もの監督のクビを切ってきた。結果が出なければ辞めさせる、という結果責任重視の姿勢といえば聞こえはいいが、現場に全責任を転化するのが楽天流だ。
はたしてこの方法でチームが強くなるのかといえば、「ならない」――ことがJリーグで証明済みだ。
「結果が出なければ監督はクビ」という明快な論理は、当世の経済界における「勝ち組」の論理に似ている。負ければ自己責任を取らされる。サラリーマンの世界ならば、ホームレスに一直線だし、経営者ならば自殺か夜逃げとなる。自己責任という“ご都合主義”がフル回転し、失敗者=負け組の行き場はなくなる。“行き場”ではなく“生き場”がなくなるのだ。
楽天の経営哲学は、結果責任を現場だけに負わせ、経営者責任を取らないことのように思える。そんな楽天流人事が許されるはずがない。経営資源を整えるのが経営者の仕事だ。それができなかったのが今年の楽天であって、田尾監督の采配ミスで落とした試合が一体全体、何試合あるというのだ。
筆者は楽天のプロスポーツ(Jリーグ・プロ野球)経営について、納得していない。おそらく、楽天という企業風土が官僚主義的に組み立てられているのではないか。Jリーグでクビになった複数の監督そして田尾監督は、楽天本社社員への見せしめだろう。失敗すれば、お前達もこうなるんだぞ、という恫喝だ。
プロ野球の選手の多くが脱落する。一軍レギュラーは少数の成功者だ。二軍から上がれず引退した選手の名前を覚えている人もいない。それがプロスポーツの実態だけれど、それは厳しいプロの世界に飛び込んだ選手達の真の自己責任の結果がある。監督も同じだ。そして、球団経営者も同じだ。自己責任は当事者すべてが等しく負わなければいけない。選手、監督にだけ自己責任が問われるような球団=企業であってはならない。
スポーツファンは自分達が果たせなかった「成功」を、球団や選手達に託している。多くのファンは実人生において、「勝ち組」でも「負け組」でもない。だから、好成績を残した選手や、チャンスに強い選手に拍手を送る。
それだけでは終わらない。プロスポーツには勝者の栄光と共に、敗者の美学がある。敗者から勝者に変わるチャンスもある。「勝ち組」「負け組」の二分法では、プロスポーツに夢やロマンを託せない。
筆者が思うに、田尾監督が来季、5位に順位を上げたとしたら、仙台のファンは田尾監督に大きな拍手を送ると思う。その次の年は4位、そして・・・いずれ優勝という筋書きの中で球団経営陣は戦力補強の努力をすることが求められていた。楽天が球団経営に乗り出したということは、そのような計画があっての話だと思っていた。そうでなければ、楽天が仙台のファンから愛される球団にはなれないと思う。
楽天の次期監督に内定してるのは、筆者が球界の中で最も嫌いな人物の一人のようだ。これで楽天に期待するものは、何もなくなった。ホリエモンなら、この人を監督に呼ぶことはなかったはずだ、と思うと残念でならない。


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