昨日、星野阪神SDが巨人入りを否定して、騒ぎはおさまった。そんな話はもともとなかった、と読売関係者は騒ぎがスポーツ新聞各紙の虚報だと断言している。「火のないところに煙はたたず」の諺もあるとおり、読売関係者の言葉を信じることはできない。筆者の勝手な推測では、読売は星野SDに接触したと思う。そして、星野SDから返答があるまでの間、スポーツ新聞を使って世論の動向を測ったと思う。もちろん、星野SDも世論の動向を決断のための参考としたに違いない。その間、ペナントの行方は阪神優勝に傾いてきた。岡田阪神が星野の遺産で優勝する、という評価が定まったところで、星野SDは読売のオファーを断ったのだと思う。逆に、阪神優勝の可能性が低くなっていれば、星野SDは読売に行ったと思う。自分(星野SD)の遺産が食いつぶされた、ならば、新たな仕事場(読売監督)を求めるのが男の・・・という熱血理論が使える。 さて、経緯はともかく、筆者はこの結果に満足している。読売が、ほしいものを何でもカネで手に入れる、そして、結果はみな失敗する、というプロ野球の頽廃がひとまず、棚上げされたからだ。もちろん、〈今年〉は星野SDの読売入りがなくなっただけで、〈来年〉はわからない。プロの世界なのだから、カネで戦力補強して何が悪い、という「正論」もある。カネがあるのだから、使い方は自由だとも言える。だが、読売の星野SDへのオファーは、世間知らずの成金が場末のクラブで高級ブランデーを法外な価格でキープするのに似ている。これは星野SDに価値がない、というのではない。カネがあれば自由に使ってよろしいのだけれど、読売はこの間、カネを使って球団を弱くし、その極めつけが、今回の星野SDへのオファーに通じている。 選手にカネをつかってだめだったから、今度は監督にカネを使おうというのだ。カネ持ちの道楽がプロ野球経営(オーナー)という見方からすれば、読売の試行は許される。だが、野球協約には、球団は公共財だと規定されているらしい(読んでいないので・・・)。これに基づけば、球団のカネは、ファンの浄財だと考えられる。読売の金満は、ファンがチケットを購入したり、テレビ放映権を獲得した企業から、そのコストを含んだ価格の商品を購入した結果だとも考えられる。そう考えれば、読売がカネをムダに使っていいわけがない。 読売はカネに任せた球団経営をやめる時期だ。いい選手がいるのだから、彼らを鍛えなおして必死なプレーを見せればいい。指導者として才能の認められる人材がいるのならば、リスクを犯して、起用すればいい。そういうトライをしないで、成功者だけをカネで招く手法は怠慢であり、スポーツがもつ清新な魅力から遠い。来シーズン、読売が若い戦力と若い指導者で新鮮な野球を見せることが何よりも求められている。
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