Sports Enthusiast_1

2005年09月08日(木) 日本サッカー、山積する課題

●最悪、日本代表
7日の日本代表vsホンジュラスは、5−4の乱戦を日本が制した。点数が入って観衆を楽しませた試合なのかもしれないが、レベルの低い親善練習試合で、代表の力を測るに値しない。この試合から日本代表のドイツ本大会への道筋を想像することは不可能だ。確実なのは、日本の守備のお粗末さ――と、海外クラブに所属しているだけの「海外組」という存在の危うさ――だろうか。
お隣の韓国は、予選突破したボンフレール監督を解任し、本大会で指揮をとるにふさわしい、実力のある代表監督を新たに探している。結果はともかく、内容が伴わないボンフレーツ体制をさっさと見切った。韓国の判断はおそらく正しい。日本サッカー協会に韓国のような決断を期待するのは無理な話なのだろうが、ホンジュラス戦を見て、日本代表の危なっかさに気づかぬサッカー関係者はいないだろう。それでも、予選突破を決めた監督のクビを斬るのは、日本的風土になじまないのだろうか。ジーコ解任の声はどこからも聞こえてこない。日本人の「優しさ」に見守られたまま、退屈なジーコサッカーがこの先本大会まで続くのかと思うと、憂鬱になるのは筆者だけか。
●日本人主審の大失態
こんな「事件」は聞いたことがない。日本人主審の誤審でアジア地区予選・バーレーンvsウズベキスタンのプレーオフが再試合になったらしい。この試合は見ていないので状況はわからないが、報道によると、PKを蹴る前に後の選手が動いたファウルについて、日本人主審が蹴り直しではなく間接FKで試合再開したらしい。蹴り直しが正しいことくらいは、素人の筆者にもわかる。PKを蹴る側がウズベキスタンで、試合は1−0でリードしていたというから、PKをほごにされた上、勝ってる試合を再試合にされれば、納得がいかないのは当たり前だ。普通に行けば、ウズベキが2−0で楽勝のケースだろうが。
筆者は当コラムにおいて、日本の審判団の悪口をしつこく書いてきた。Jリーグにおける、試合運営のまずさ、ファウルの判定基準の曖昧さ、誤審、アドバンテージがとれないセンスのなさ、カードに頼る選手管理・・・数え上げればきりがないのだが、まさか、国際試合でルールを間違えるとは・・・そこまで酷いとは思わなかった。
しかし、この「事件」の発生は、ルールを間違えた主審の個人的資質にではなく、日本サッカー界が「審判員」の質の向上をないがしろにしてきた、構造的欠陥に起因すると考えなくてはいけない。
ここで言う構造とは、まず、審判、とりわけ主審の誤審等を追求しない協会及びスポーツジャーナリズムのあり方だ。日本のサッカー界には、下手な審判員の技術を向上させるシステムが存在しないのだ。川渕キャプテンがいくら、誤ってもだめだ。川渕キャプテンの仕事は、審判の技術を向上させるための、構造改革を実行することだ。たとえば、下手な審判は試合に出さない、問題を起こすことが多い者には出場停止等の処分を行うこと、などが考えられる。優秀な外国人審判を呼ぶことも必要だ。
スポーツジャーナリズムは、誤審常習者、判断の悪い者を、新聞紙面やTV放送で叩くことだ。テレビ中継、スポーツニュースは、「問題のシーン」を何度も流し、視聴者に審判の誤審の事実を明白にすることだ。いわば、情報公開だ。
市場主義経済が社会に善を促す根拠は、競争原理だと言われている。質の悪い商品(サービス)、割高の商品(同)は、競争によって、市場で淘汰される。その逆、つまり、市場での淘汰が働かないのが社会主義経済だ。官僚や党幹部が自分達の地位を独占するため、市場競争を妨害し、競争原理が働かないように政治(権力)でコントロールする、つまり、悪い商品(同)がいつまでも、社会に温存されるわけだ。その状態にあるのが、いまの日本のサッカーの審判団にほかならない。
筆者は日本人審判が、W杯予選でこんな誤審をするとは思わなかった。もちろん、先の東アジア選手権でも日本人主審が退場を命じた選手にファウルがなく誤審であることがわかり、出場停止処分が解除されたことがあったというのは知っていた。けれど、それは、“魔がさした”のだろうと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。日本人審判のレベルは、世界で低いほうから数えたほうがはやい。
このたびの「事件」を機に、日本の審判員制度が抜本的に改善されることを強く望む。当コラムで何度も何度も、Jリーグの審判の酷さに警告を発してきたが、とうとう危機レベルが最高値に近づいてしまったようだ。
筆者は予言者ではないから先のことはわからない。でも、現状の日本の審判が酷いことくらいは鮮明に見える。


 < 過去  INDEX  未来 >


tram