Sports Enthusiast_1

2005年08月10日(水) お涙頂戴ありがとう

くさい芝居を見せられた。シーズン(公式戦)たけなわの折、佐々木(横浜)が引退を表明し、佐々木の故郷・仙台で行われた読売との試合に登板。親友・清原(読売)と対戦して三振に討ち取り、現役生活を終えた。佐々木vs清原は両者涙目の対戦となり、くそボールを空振りして三振に倒れた清原はマウンドの佐々木に歩み寄り、互いの「健闘」を讃えあった。
ふざけるな、と言いたい。「野球は筋書きのないドラマ」だというではないか。スポーツは何が起こるかわからないから、みな、勝負の行方を固唾を呑んで見守るのではないのか。あらかじめ筋書きをこしらえて、お約束のフォークボールを親友でライバルが空振りしてみせるなど、スポーツ精神と最も遠い。田舎芝居以下だ。
スポーツ選手に引退はつきものだ。ファンを喜ばせた名選手・大選手には、それにふさわしい引き際の舞台を整えたいと思う。しかし、引退する選手個人の願望・希望を真剣勝負(=公式試合)の場に持ち込むとは論外だ。
どうしても公式戦を引退試合にしたいのならば、順位が確定した消化試合を選ぶべきだ。クローザーならば、ラストイニングに登板し、打たれて交代もありえるだろうし、相手チームのお情けで、そのままイニングを終わらせることもありえる。相手チームも事情を汲み取り、本気で佐々木を攻略することもあるまい。それはそれで構わない。相手の打順は下位かもしれないし、主軸かもしれない。スポーツ本来の偶然性を否定しても始まらない。そもそも、佐々木が公式戦で、清原との対戦で終わりたいと願うことは、読売の他の選手に礼を失する。佐々木・清原は、公式戦で最も求められることがチームの勝利であることを忘れている。
佐々木の引退試合、横浜は読売に0−1で負けた。この結果は、横浜の選手が読売に勝つ気力を失っていたからだ。横浜球団は、佐々木のわがままを聞いてくれた読売に、白星を謙譲したのだ。これは大相撲における星の貸し借りのようなもので、横浜の「無気力野球」は八百長行為に匹敵する。
スポーツマスコミもおかしい。相撲界の「無気力相撲」すなわち八百長疑惑を糾弾するのならば、仙台で行われた読売vs横浜こそ、八百長野球として糾弾に値する。球界に汚点を残した試合として、非難の対象とすべきではないか。
筆者は佐々木と清原の間にどのような親交があるのか知らないし、興味もない。二人が飲み友達だろうがゴルフ友達だろうがどうでもいい。二人の親交をさらに深めたいのならば、二人で勝手にやればいい。忘れてならないのは、プロ野球というスポーツはチームプレーであり、一人ひとりの選手はチームの勝利のために力を発揮しなければいけないということだ。投手と打者は一対一の勝負をするけれど、投手は打者から合計27のアウトをとるために、最高のパフォーマンスを試みるのであって、特定の打者から1つのアウトを取ることには、なんの価値もないのだ。清原から奪った三振もニ岡から奪ったキャッチャーフライも等価なのだ。
筆者は佐々木、清原が互いにウルウルしている光景をテレビ画面で確認して、その異様さに驚愕した。この二人は大きな勘違いをしている、しかも、そのことに気がついていない、特に清原は、自軍・読売がシーズン前の予想に反して5位に低迷している主犯だという自覚がないのか。清原の低迷がチームの低迷に直結していることに気がついていないのか。ファンの期待を裏切っていることが、彼の頭の中にはないのか。
二人はなぜか、自己陶酔をしているけど、そんな気分に浸れる状況なのだろうか・・・チームへの貢献を忘れた、自己中心型の「ヒーロー気取り」の選手は、チームスポーツには不要だ。


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tram