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2005年07月30日(土) 「巨人軍」を斬る

サッカーの試合がないので、プロ野球について書く。
筆者にとって理解できないのが、「巨人」ファンという存在だ。読売は有り余る戦力を金でかき集めたにもかかわらず、この時期、地力優勝の可能性をなくした。後半戦、巻き返したとしてもせいぜいAクラスがやっとだろう。
そんな読売がホームで中日の川上にわずか2安打完封負け。前日も阪神に一方的に負けている。普通ならば、試合後、ファンからブーイングを浴びるだろう。とりわけ、ブレーキになったのが清原。彼はチャンスに併殺打を打ったりと元気がない。高い年俸、走れない、ホームランはムダ打ち、空砲が多く、勝利に貢献しない。となれば、スタンドから、「引っ込め」の野次の一つが出てもいい。ところが、ホーム東京ドームでは、彼が打席に立つたびに、飽きもせずの大合唱に包まれる。凡退しても三振しても、同じような光景なのだ。
サッカーだったら、清原のような選手には、見方サポーターから、ブーイングが浴びせられる。だらしのない負け方が続けば、サポーターは選手の乗ったバスを取り囲み、クラブ側に今後の対策を厳しく問う。日本のサポーターは甘いほうで、南米ならば、練習場に死んだ鶏が投げ込まれる。
スポーツジャーナリズムも黙ってはいない。早速、監督更迭記事が氾濫し、クラブ側は人選に入らざるを得なくなる。ところが、日本プロ野球の人気球団読売に対しては、ファンもスポーツジャーナリズムも、何の反応もないどころか、十年一日のごとく、大応援団がメガホンを叩きカネや太鼓を打ち鳴らし、歌や手拍子で応援し続け、新聞は提灯記事を書いている。こんな不健全な環境を筆者は知らない。
読売に比べれば、阪神は健全だ。大阪の某スポーツ新聞は過激だし、負け続ければファンは球場に足を運ばなくなる。無気力選手には、スタンドから厳しい野次が飛ぶ。阪神ファンこそが、ファンのあるべき姿なのだ。
読売で厳しいのは、オーナーのナベツネ氏ただ一人。彼は弱い「巨人」を批判し、選手を罵倒し、マスコミとも戦っている。ナベツネ氏ただ一人が、健全な批判精神をもって、巨人に接しているといえる。ただ残念ながら、ナベツネ氏は野球を知らないから、過激な方針が結果に結びつかない。ナベツネ氏がもっと野球を勉強していれば、監督人事・球団運営等において、的確な対策が講じられるのだ。
たとえば、後半戦、読売は若手起用に切り替えた。堀内監督の選手起用が転換されたのだ。それはいいことだが、大きな政策転換というものは、同じ指導者の下でやってはいけない。新しい哲学は新しい哲学者が説くべきなのだ。古い哲学者が新しい哲学を説いても信用されないのが世の常というものだ。
それだけではない。選手は新しい哲学を信用していいものなのかどうか迷うはずだ。哲学者が掌を返すように、自らの体系を変えたとしたら、それを信じる人はいない。監督だって同じなのだ。選手が安心して、新しい方針の下に結集するためには、オーナーに信任された新しい指導者でなければいけない。シーズンが終わってから新人事を発表するのは、時間の無駄というものだ。せっかく後半戦という実践の時間をもっているのだから、新しい方針を新しい指導者の下で始めればいい。そうすれば、来シーズン、助走期間がまず要らなくなる。選手だって新方針に乗りやすい。
人事というのは、合理的でなければいけない。合理的であればあるほど、いい結果を早く出すことができる。
ナベツネ氏はすでに、オーナーとして、単純なミスを犯している。堀内監督の方針が転換されたいま、堀内監督を起用し続ける合理的理由は、筆者には見つからない。


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