Sports Enthusiast_1

2005年07月09日(土) 野球が五輪から消える

2008年北京大会を最後に、野球が五輪から消えることになった。当然と言えば当然な話で、ラグビー、クリケットが英国圏のスポーツで五輪競技とならないの同様に、野球も中米・北米・東アジア限定のスポーツという認識が世界に定着したことになる。
野球が世界規模のスポーツになる可能性は、これで完全に絶たれたと思う。この先、野球は米国のMLBを頂点にして、中米諸国、東アジア諸国、そして、オーストラリアが細々と支えることになる。
日本人は野球が好きだが、なぜ、野球が突出して人気スポーツになったかは不明だ。プロ野球創設者が卓抜した人気獲得作戦を展開したことも無視できない。親会社のマスコミを使って大宣伝を敢行し人気を獲得したのだが、この手法はプロスポーツの正常な成長とは違った。いまのプロ野球の歪みも、そこに理由がある。
日本人はそろそろ、某新聞社の洗脳から目を覚ます。今回、野球が五輪から除外された事実は、日本人に覚醒を促すに違いない。野球を通じて世界に近づくと考えた日本人の「世界」とは、たかだか米国という特殊な外国の1つにすぎないことに気が付き出したのだ。
五輪野球で思い出すのは、幻の「ナガシマジャパン」のことだ。病に倒れた長嶋監督に代わって指揮をとった中畑氏は、長嶋氏のユニフォームをベンチに飾った。そして、選手はそのユニフォームに参拝して試合に臨んだのだ。この「神頼み」は、スポーツ(プレー)のあり方の対極に位置する精神主義だった。スポーツをすることを英語で、play(遊び)という。日本人は野球をする(play)のではなく、祈った(pray)のだ。五輪から野球がなくなって、本当によかった。


 < 過去  INDEX  未来 >


tram