Sports Enthusiast_1

2005年06月30日(木) 自分の馬を信じろ

千葉のオシム監督のインタビュー記事を、某スポーツ誌で読んだ。オシム監督がジーコジャパンをどのように見ているか――聞き手の核心はそこにある。が、オシム監督の回答は極めて慎重。評価を避けた。
その雑誌には、トルシエ前代表監督も登場していた。トルシエはやや、オシムよりは軽い対応だった。トルシエは、ジーコは将来に向かって、若い才能を見出し育成することを怠っている、というような意味の言葉を発していた。オシムは老獪であり、トルシエは敢えてピントを外した。
考えてみれば、ジーコを中心にして登場したオシム、トルシエの3人は同業者。同業者が同業者の足を引っ張るのは業界仁義に反する。監督の評価を同業者に求めたこの雑誌の企画はみごとに、同業者にすかされた。
では監督の評価はどこのだれの役割なのか――言うまでもなく、ジャーナリストの役割なのだ。ジーコを評価したいのなら、オシムやトルシエの言葉を借りることなく、雑誌の責任、編集長の責任で行えばいい。日本のスポーツジャーナリズムは選手、監督、協会関係者、審判を批評しない。自らの責任で、「ジーコジャパン」を評価したらいいではないか。
オシム監督は、インタビューの最後に「自分の馬を信じろ」と言った。代表監督の馬は、選手、スタッフだ。では、雑誌にとって「馬」とは何か――それは、雑誌(編集長)が擁する編集者、記者であり、彼等が集めた情報、取材データであり、雑誌としての見識、見解にほかならない。ジャーナリズムだけが手を汚さないでいられる時代ではない。雑誌は結果を恐れず、勇気を出して、署名入りでジーコ(ジャパン)を評価したらいい。


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