Sports Enthusiast_1

2005年05月28日(土) 何度も同じことを・・・

書いてしまう自分が恥ずかしい。もう書くまいと思っても、やはり書いてしまう。諦めているといいながら、我慢できない。もちろん、ジーコジャパンのことだ。
04−05年前半までの日本代表は、麻雀で言えば「一人勝ち」状態だった、ツキまくり、カンチャン、ペンチャンを一発で積もったり、ラス牌を相手が振込んでくれたりと、親の連荘が続いたと前に書いた。しかし、ツキは長くは続かない、いずれ失われる。そんなものだ。だから、勝負事は面白い。いつも勝つ選手が決まっているのは「プロレス」だけ。
日本代表は同じような展開で2試合(ペルー戦、UAE戦)とも負けた。点が入らないFW陣、先発は鹿島の鈴木だが、彼が調子の悪いことはだれの目にも明らかだ。トップ下は鹿島の小笠原。彼がゴールへの意欲や戦う姿勢を示さないのは性格かもしれないが、代表の司令塔としては物足りない。スーパーサブは鹿島の本山。彼が流れを変えたり、ゴールを決めた試合を筆者は覚えていない。ジーコが鹿島と縁深いことを知らない人はいない。公平な代表選手選抜を期待するほうが無理というものか。
それだけではない。キリン杯で代表であっても、ヒデ、俊輔、中田(浩)、高原(ケガで欠場か?)、柳沢が海外から戻れば、キリン杯の「代表選手」はよくて控え、悪ければ代表落ちだ。柳沢、中田(浩)は鹿島出身だから、ジーコはこの二人を試合に出すだろう。キリン杯はだから、バーレーン戦のシミュレーションでも調整試合でもない。バーレーン戦の直前の親善試合にすぎない。となれば、出場した選手が意欲的になるほうが難しい。
さて、試合展開としては2試合とも同じようなカウンターで1点を入れられて負けたわけだが、中澤の不在を控え選手が埋められない結果だった。中澤の代役はケガでJリーグを長期欠場した選手で、彼が代表に選ばれる理由がわからない。
いまの日本代表はトルシエの遺産を食い潰していると前に書いた。日韓大会終了時点でトルシエ遺産が100億円あったとしたら、3年間で75億円目減りした勘定になる。ヒデ、稲本、三都主、中田(浩)、鈴木・・・と日韓W杯当時、若手だと思っていた主力選手たちがなんだか老けて見える。もちろん、俊輔、中澤、玉田、遠藤、高原、田中、大黒・・・といった「収入」(日韓大会では代表に選ばれなかった選手たち)もあるけれど、遺産の目減りを補えない。黙っていても蓄積されるのは「経験」だけだが、新たな財産形成となるものではない。残り25億円の遺産でアジア予選を突破したとしても、ドイツで予選リーグを突破することは無理だ。
極論すれば、筆者は6月、バーレーンがジーコジャパンに引導を渡してくれれればいい、と祈ってさえいる。このまま、ズルズルとジーコジャパンが続くことは日本代表ばかりか、日本サッカーにとってマイナスだ。日本サッカーは一日も早く、ジーコのサッカーから決別したほうがいい。わけのわからない代表選考の下、戦略も規律も采配もないこの代表チームを解散させて、新しい指導者の下、運動量が豊富でスピードがあり、戦略的な戦いを目指すチームをつくった方がいい。そうでないと、日本サッカーはアジア、世界から置いてきぼりを食らうだろう。
トルシエの遺産でジーコジャパンがW杯予選突破を決めれば、ジーコは代表監督として評価されるのだろうが、そのことは日本サッカーの大いなるマイナスに作用する。“ドイツに行く”という最終目標をジーコがトルシエの遺産を食い潰して果たしたとしても、その後に残るものはなにもない。
歴史は否定の働きにより、過去を保存しつつ新しいものをつくりだす。それをアウフヘーベン(止揚)という。ジーコはトルシエを否定するといいながら、否定しきれず、その遺産を食い潰すにとどまった。そのことを一般的に停滞と呼ぶ。ジーコが日本代表を率いた3年間はまちがいなく、日本サッカーの停滞期だった。早いところ、再構築に着手したほうがいい。


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