Sports Enthusiast_1

2005年04月09日(土) フォンシュトイベン

アメリカ合衆国独立の父といえば、ジョージワシントン、トマスジェファソンらが思い浮かぶ。英国の植民地だったアメリカに、自由と民主主義の国をつくるため、彼等が先頭になって戦ったと。だが、日本人にはまったくしられていないが、合衆国独立の最大の功労者の一人といえば、プロイセン人のフォンシュトイベンを挙げなければいけない。フォンシュトイベンはプロイセンの一兵卒にすぎなかったが、将校と名乗り、合衆国軍隊=独立軍の戦闘マニュアル、軍事教練マニュアル、作戦づくりの総指揮をとった。一兵卒のフォンシュトイベンになぜそれだけの能力があったのかは謎だが、とにかく、農民、商人、牧童といった非戦闘員の寄せ集め集団だった独立軍を当時最強の英国軍と互角以上に戦うことができる軍隊に仕立て上げたのだ。フォンシュトイベンの銅像はホワイトハウスの前に建てられているというから、独立に貢献した偉大な存在として、合衆国民の間では知らない人はいないに違いない。
さて、サッカーの代表監督論。代表監督には――サッカーの素人にすぎない筆者の勝手な考えだが――フォンシュトイベンのような実務家が適しているように思う。歴史に名を残す名選手たち、たとえば、ペレ、ジーコ、マラドーナ、プラティニ、クライフ・・・らがワシントンやジェファーソンならば、ベンゲル、メス、ヒディングらはフォンシュトイベンのような存在なのではないか。代表監督として各国を流れ歩く彼らは、出身国で名選手ではない場合が多い。フォンシュトイベンも祖国では無名の兵卒にすぎなかった。どういう事情があったかは知らないが、新大陸植民地に流れついたフォンシュトイベンは、そこで思わぬ才能を発揮する。なぜ才能が開花したのかは不明だ。いろいろな要素が複雑に絡み合ったのかもしれないし、自国で花ひらなかった才能が発展途上の植民地という土壌で突然変異を起こしたのかもしれない。その原因はともかくとして、無名の兵卒が名将に変貌したのだ。
日本はサッカーの発展途上国だ。欧州の一流リーグに人材を送り込んでいるものの、活躍している選手はいま現在、小野が辛うじて、オランダでレギュラーを確保している以外、だれもいない。ジャパンマネーを考慮しなければ、欧州のクラブにいったい何人が残れるのだろうか。そんな国がアジア予選突破は言わずもがな、W杯予選リーグ突破を目指すまでになった。思えば、Jリーグ開幕から10年、急速な進歩といえる。
しかし、日本の指導者がどこかの代表チームの監督に呼ばれることはない。指導という面では、選手以上に世界の後塵を拝しているのが現実だ。もちろん、日本人監督のなかにも優秀な人材はたくさんいる。いずれ、日本人監督が世界のクラブを率いる日がくる。
日本代表を飛躍的に向上させた代表監督といえば、トルシエだった。トルシエの功績は、合衆国軍隊におけるフォンシュトイベンにたとえられる。一方、現監督のジーコは残念ながら、フォンシュトイベンのような存在にはなりえていない。いまの代表チームには、「ジーコ流」と呼ばれるものは何一つない。ジーコ持論の4−4−2は3年間かかって完成できなかったし、攻撃の形、守備の形、選手の訓練方法、体力づくり、運動量、選手選考などなど・・・すべてにおいて、前監督トルシエをしのぐものがない。
Jリーグでは、千葉(市原)のオシム監督を筆頭に、横浜の岡田監督、東京Vのアルディレス監督らの指導力が目立っている。新任ながら清水の長谷川健太監督も指導者としての才能が感じられる。日韓大会後の3年間、Jリーグにはいい意味で、変化が起こりつつある一方、日本代表はジグザグ路線、行きつ戻りつの停滞が続いてしまった。
サッカーは戦争とは違う。サッカーは相手と接触せずにゴールを奪えれば最高だ。つまりだれも傷つけずに得点を上げられればいいのだが、そうもいかない。接触もあるしボールの奪い合いもある。だから、ファイトが求められる。しかも、サッカーは一対一の決闘ではないから、戦争に似ているので、戦闘マニュアルや作戦が必要となる。戦争は、最終的には一対一の戦闘を基本としつつも、作戦、陣形、統一された思想が求められる。サッカーも似ているので、同じように規律(Disciplin)という言葉を使う。規律のない戦闘集団はありえないから、きわめて実務的な指導者が必要とされる。
ワシントンやジェファーソンは歴史を飾っているが、フォンシュトイベンは実務を支えたものの、日本の世界史教科書には載らない。代表監督も同じように、歴史に名を残すことがない。サッカーの歴史は、つねに活躍した選手だけにより、彩られている。ジーコは名選手として名を残したものの、監督としては凡庸な者の一人にすぎず、世界のサッカー史に名を残すことはない。


 < 過去  INDEX  未来 >


tram