Sports Enthusiast_1

2005年03月06日(日) 「神の手」ではない

はっきりしておこう。当コラムで以前書いたが、「判定」は神聖だが、「審判」は神聖でもなんでもない。誤審があれば、審判だって処分されるべきなのだ。ミスを繰り返すようならば、一線から退いてもらう。サッカーの審判が好きなら、草サッカーで笛を吹けばいい。
マスコミもおかしい。日本のサッカーのレベルを上げたいのならば、ファウル、ラフプレー、ミスジャッジ等々の不正については、厳しく報道すべきなのだ。たとえば、きのうのJリーグ開幕戦の1つ、浦和vs鹿島でアルバイが鈴木のアゴを押したシーンがVTRで何度も放映されていた。この映像を見せられれば、アルバイに抗弁の余地はない。同様に、主審・岡田のミスジャッジのシーンも、繰り返しVTRで報道すべきなのだ。選手の退場シーンが何度も放映されるのと同じように、誤審についても、何度も報道されるべきなのだ。それが、審判のレベルアップにつながる。怪しい判定はゴールシーンばかりではなく、カードの出し方、ファウル、オフサイド、ラフプレー等々、試合を左右する判定すべてについて、VTRは利用されるべきなのだ。サポーターはそれを見て学習し、レベルの低い選手・審判に厳しい目を向ける。批評精神の積み重ねが、日本のプロサッカーのレベルを上げる。
そればかりではない。スポーツはフェアプレーが基本だ。審判の目を盗んで不正を働くような選手に対しては、社会的糾弾が必要なのだ。昨日の「誤審」は、90分間全力でプレーした選手たち、チーム関係者、サポーター・・・すべてに失望を与えたはずだ。不正で得た勝利に感動を覚えた者が何人いるのだろうか。そんな失望が繰り返されてはならない。舞台は、「サッカーイヤー」ともいえる05年のJリーグの開幕戦、新旧実力派の監督対決、前年チャンピオンに対して、補強でチーム再建を賭ける老舗・磐田という、看板ゲームではないか。
ヴァイタルエリアで頭より高く手を上げてヘディングするプレーは、「手」に当たらなくともファウルではないか。「李下に冠を正さず」という諺があるのでそれ以上は言わない。
福西の「前科」については、当コラムで何度も書いた(直近は2004年08月30日(月) /「福西の許しがたいプレー」)。そのときも重要な試合で、福西は退場になっている。きのうは不正が一転して、「決勝点」になってしまったが・・・ 福西は「そういう選手」なのだ。そんな選手がクラブでレギュラーを確保し、代表に選ばれている。それがJリーグ、日本代表の現実なのだ。指導者たるべき監督・コーチが「有名選手」の度重なる不正を是正できない。「一流」選手を指導できない。スペインに行った、大久保もそうだったが、川渕キャプテンが直々に彼を指導したといわれている。
なお、主審・岡田のジャッジについては、有名選手に甘いことで定評がある。昨年、三都主の悪質なファウルに二枚目のカードをためらったことは、当コラムに書いた。今回も磐田の監督は前オリンピック監督で、「ハンド」の当事者は代表の福西。主審・岡田が「誤審」する条件は整いすぎていた。
とにかく、誤審防止については、審判・選手・協会・サッカージャーナリズム・サポーターがその防止に共通認識をもって、取り組んでほしい。


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