Sports Enthusiast_1

2005年02月14日(月) ドイツへの道

大住良之(サッカージャーナリスト)の最近の著作に、ジーコが日本代表監督を引き受ける経緯のようなものが記されていた。大住の記述を簡単に紹介すると、それは日韓W杯で日本がトルコに負けた直後、インタビューに答えるトルシエ監督(当時)をテレビで見たジーコが、烈火のごとく怒った、という書き出しから始まっていた。ジーコは02年W杯の日本代表チームを、監督が一から十まで指示し、そのとおりにしかプレーできないチームと酷評したという。ジーコには、トルシエが選手を組織でがんじがらめにして、ロボットのように操ったように見えたようだ。
ジーコは、あるテレビのインタビューで、自分が日本にきたとき、日本のサッカー選手はノートと鉛筆を携帯し、自分の指示をいちいちメモしていたんだ、と語っていた。Jリーグが始まった当初、つまり、日本プロサッカーの黎明期、日本人選手が世界的名選手であるジーコがクラブに来て指導することになったと聞いて、ペンとメモ帳を用意して臨んだとしても不思議ははない。もちろん、世界のプロサッカーを知るジーコにとって、日本選手がメモをとる光景は異常に写ったとしても、それもまた不思議ではない。日本人選手が監督の言葉をメモしたとしても、監督の言ったとおりにしかサッカーをしないわけではない。ジーコが感じた日本人サッカー選手に対する違和感とは、異文化間の多少の、しかも、とるにたらない行き違いの1つにしかすぎない。日本人選手がメモをとったとしても、監督の指示がなければ何もできないわけではない。
さて、ジーコはJリーグ発展の功労者の一人だった。Jリーグに貢献した外国人プレイヤーとしては、リトバルスキー(市原他)、ドゥンガ(磐田)、ストイコビッチ(名古屋)を忘れてはならない。監督としては、ベンゲル(名古屋)、レオン(清水、ヴェルディ)、フェリペ(磐田)、オシム(市原)が挙げられる。ジーコが鹿島アントラーズを日本有数のクラブに育てあげた功労者であることは、もちろんだれも否定できないが、ジーコが日本サッカーの最大の功労者であるとも言えない。ベンゲルやレオンがそうだと言えないのと同じように。
ジーコ(鹿島)は、いま挙げた他の指導者と同じように、その及ぼした影響力は1クラブに限定されていた。02年W杯後、大半のサッカーファンがジーコを日本代表監督のイメージとして共有していたとは言い難い。日本人が描く代表監督像は02年当時、韓国をベスト4に導いたヒディングだったと思う。代表監督はプロフェッショナルでなければ、という健全なものだったと思う。だが、日本サッカー協会の選択は、知名度において郡を抜いていた、ジーコだった。「神様」と呼ばれた選手なのだから、少なくとも、妖精(ストイコビッチ)よりは上だろうか。
さて、02年W杯における問題のトルコ戦。この一戦については以前詳しく書いたからここでは、簡単に触れるにとどめる。とにかく、トルコと日本の実力差は明白だった。ホームアドバンテージ、組織力、結束力、ツキ等々をもってしても、トルコに先取点が入ったところで、日本に勝ちはなかった。それはトルシエの責任でもなければ選手の責任でもない。勝てない試合だったのだ。トルコと日本の歴史の差を挙げてもいいし、個々の選手の実力の差でもいい、経験でもいい。そんな試合だった。
問題はトルコとの差に象徴される「壁」についての認識だ。(壁は)4年で越えられると考えるか、それとも、もっと長くかかると考えるか――4年間という時間の認識が1つ。そして、(壁を)越えるための具体的方法論の有無が2つ。大住の著作によれば、ジーコは自分が指導すれば、壁は4年の準備で越えられると考えたようだ。
そう考えない指導者もいる。世界の代表監督経験者の多くは、日本代表監督を引き受けるに当たって、必ずしもジーコと同じ立場をとるとは限らない。冷静に考えてみればわかることだが、トルコに負けた日本が4年後、トルコと10回戦って10回勝てる実力を身につけられるはずがない。だが、4年後、4回勝つ実力はつくだろう、あるいは5回くらいは・・・それが自然だと私には思える。
94年のアメリカ大会に日本は行けなかった。98年はいっぱいいっぱいでフランスに行けた、そして02年は開催国として、予選突破できた。だから自分が監督になったら、ドイツに行ってベスト8が可能だと断言できる監督はおそらく、「神様」以外いない。06年、予選突破だって、簡単ではないのだ。現に、昨年から直近の北朝鮮戦に至るまで、日本代表の薄氷を踏む勝利をわれわれは何度も見てきた。
少なくとも、理性あるプロの監督ならば、日本代表が欧州強豪代表チームに4年間で追いつける、とは言わない。日本代表の長所と短所を分析し、実力の差を縮める努力とその差を補う道筋を探るはずだ。それが普通のやり方だ。欧州、南米、アジア、アフリカを問わず、ほとんどすべての代表チームがとるべき道筋だ。
代表監督という職業では、ときに大言壮語、ビッグマウスが必要なのかもしれないが、理性ある監督ならば、前任者の功績に敬意を表しつつ、その遺産を無駄にせず、まかされたチームを強化するための貴重な時間を無駄にしたりはしない。いわんや、批判した前任者のとった方法に次第に還帰してしまったとしたら、大言壮語の批判はいったいなんだったのか、ということになる。迂回して浪費した時間はもう戻ってこない。前任者の否定、無限の自己肯定――という、オルタナティブな選択ほど愚かなことはない。(文中敬称略)


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