Sports Enthusiast_1

2005年02月05日(土) 不毛な選択

日本代表、というかジーコ監督がまたぞろ、不毛な選択をしよとしている。ジーコが監督に就任したときは、「自由」か「規律」か、「個人」か「組織」かだった。規律・組織がトルシエで、自由・個人が自分(ジーコ)。でも、そんな選択はサッカーにはあり得ない。このことは何度も繰り返し書いたので、繰り返さない。あり得ない選択に喜んだのがスポーツマスコミだった。ジーコジャパンは、創造性があるとか・・・
今度は「海外組」か「国内組」か、らしい。こんな選択もあり得ない。サッカーでは、リーグ戦であれ代表であれ、力のある者がレギュラーになる。ただし、力のある者であっても調子が悪ければ使えない。コンディションが悪ければ使えない。モチベーションのない者は使わない。サッカーは、個人が基礎であるが、コンビネーションや戦術が徹底しなければ勝てない。集団同士のゲームなのだから。
だから、監督の仕事は、代表という寄せ集め選手をチームとしてまとめることだ。そこがクラブの監督と異なるところだ。「国内組」ならば、移動がないからコンディションは保ちやすい。そのことがレギュラー確保のアドバンテージになる。予選は「国内組」で十分だという判断もあるかもしれない。アジア杯は諸々の要素が重なって、「国内組」がレギュラーになり優勝した。この結果は、ジーコ監督の意図する代表レギュラー選考と裏腹だった。結果に満足した監督は、あれほど執着した「海外組」から「国内組」重視に宗旨替えをしてしまった。
私は、ジーコ監督が「海外組」に執着したとき、それを批判した。当たり前である、コンディションが悪い選手を、ただ、「海外組」という理由により先発に起用したからだ。これはおかしい。だが、90分使えないかもしれないが、「海外組」のだれかをある時間帯で起用すべき場面もあるかもしれない。だから、実績のある選手、経験のある選手は、局面次第もしくは戦術次第で起用したらいい。短期間の練習で個々に戦術を徹底するのが監督の仕事であり、短期間で監督の意図を理解するのが真の代表選手というわけだ。
欧州・南米においてW杯予選を戦う代表監督は、ジーコ以上の悩みを抱えている。でも、与えられた条件の中でやりくりをして、勝負しているのだ。欧州や南米の代表監督が「海外組」か「国内組」かなんて選択に迷う話を聞いたことがない。もちろん、代表選手をリーグ戦で独占しようとするビッグクラブに対する批判はある。けれど、ビッグクラブなくして欧州各国のサッカーそのものが成立しないのが現状なのだ。
呼べない選手、調子の上がらない選手、怪我の選手・・・を見越して代表チームをやりくりするのが代表監督の仕事だ。何度も言うようだが、アジア杯の結果は、代表チームのあり方、方向性の1つを示したのに過ぎない。チームとして熟成すれば勝利に近づくと。だが、それだけでは勝利し得ない壁もある。サッカーの代表チームのつくり方は多様であり、選択肢は1つではない。
海外組の力を必要とするときもある、とオシム千葉監督も言っていたではないか。


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