Sports Enthusiast_1

2004年12月18日(土) 戦いの裏側

金曜日の夜、あるニュース番組のスポーツコーナーの特集がとてもすばらしい内容だったので、紹介しておこう。テーマはアテネ五輪の野球。前評判の高かった日本を破ったオーストラリア(豪)チームの勝利分析だ。豪の勝因は、データの収集・分析による、日本対策の結果だった。
アテネ五輪に向けて、日本プロ野球はリーグ開催中にもかかわらず、主力選手をアテネに派遣した。近年、東アジア諸国の実力がアップし、日本のアマチュアでは勝てなくなったことに脅威を感じたためだ。
野球の日本代表はドリームチームと、また、監督を長嶋氏が務めたところから、「ナガシマジャパン」と呼ばれ、野球王国日本の期待を背負った。こんどこそ金メダルだと。
ところが五輪開催前に長嶋氏が病に倒れ、監督には中畑氏が代理としておさまった。中畑氏は、「監督はあくまでも長嶋氏だ」と謙虚に発言し、国民から好感を得、愛称の「ナガシマジャパン」も継続した。
この人事と現象を私は当コラムで取り上げ、コーチの中畑氏が代理監督に繰り上がることはとんでもないことだ、という意味の非難を展開した(8月27日)。
さて、このテレビ番組を見て、私の批判が間違っていなかったことが確認できて、とても満足している。
豪の監督は、日本の阪神に在籍しているウイリアムズ等から日本の情報を集めた。インタビューに出演した監督の書斎の映像には、そのとき収集したデータを記録したノートや書類が山のように積まれていた。彼はインタビュー中、「日本のことは、戦う前から分かっていた」と平然と言ってのけた。
豪は“スポーツ王国”と呼ばれるくらいにスポーツが盛んな国だが、野球の実力は日本より低い。大リーグに在籍している選手の数も日本より少ないし、なによりも、野球人口が日本と比べられないくらい少ない。メジャーはラグビーであり、ラグビーとフットボールがハイブリッドしたようなローカルスポーツの球技が盛んだ。とにかく、豪人のスポーツ能力は高く、サッカー、野球、クリケット・・・と、ボール競技のレベルはそこそこのものだ。
そんな豪が五輪でとった戦略は、情報収集が比較的簡単な日本をターゲートに選び、日本に勝利することで、金メダルに近づこうというものだった。予選リーグ、決勝リーグとも、日本戦を重視した。こうした作戦は、結果からみれば簡単そうだが、勇気と決断力がいるものだ。もちろん、豪チームは、日本の方が力が上だと認めたうえで、勝つための戦略戦術を構築したのだ。
一方、「ナガシマジャパン」は、病に伏した長嶋氏のユニフォームをベンチに祀り、それにタッチすることで気力を鼓舞しようと考えた。相手チームの情報収集もなければ、分析もない。目の前の敵に全力でぶつかれば勝利が転がり込むと考えたのだ。それが、代理監督・中畑氏の「戦略」だった。
長嶋氏が監督だったらどういう対策を講じたのかはもちろん、定かではない。ただ当時のコラムで私が力説したように、中畑氏の「ナガシマジャパン」における役割は、選手の気力を鼓舞するだけの「ヘッドコーチ」であり、監督=指揮官ではないから、「代理」であっても、監督に繰り上げることは間違っている――よって、新しい監督を就任させなければいけない、というものだった。監督(指揮官)とは、スポーツの別を問わず、専門職だ、というのが私の持論であり、現役時代のスター選手が必ずしもその適性を有しているとは限らない、と考えている。
野球とサッカーは日本のプロスポーツの中でメジャーだが、代表監督人事に共通性がある。「ナガシマジャパン」「ジーコジャパン」と、現役時代のスター選手のカリスマ性で選手と世論を納得させよう、と協会が考えている節がある。監督は選手の精神的支柱だという論理もある。そういう意味づけも間違っていない。でも、勝利数の多い監督は、現役時代無名であっても、監督としてのカリスマ性を持っているものだ。
現役時代のスター選手を監督に起用しておけば、「負け」ても世間が納得してくれる――負けを見越したリスク回避が協会幹部にあるようだ。スポーツのトップが勝負しないのならば、そのスポーツの選手が勝負できるはずがない。そんな腐った土壌からは、いい指揮官もいい選手も育つはずがない。


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